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沖縄不動産バブル。離島投資は成立するのか? 渡嘉敷島、坪二千円。沖縄日本軍激戦地ツアー。

加藤ひろゆきさん_画像 加藤ひろゆきさん 第241話 著者のプロフィールを見る

2019/1/12 掲載

今、この原稿を、那覇新都心のタワーマンションの23階で書いている。
角部屋からは空港、港、慶良間列島が一望できる。
夜はキラキラ光る都心の夜景がキレイだ。

洗練された投資家のフランク三浦氏の所有物件だ。
頑張るお父さんキャンペーンを実施中で、バカBOYSと激安価格で宿泊させていただいている。
ステキな友人に感謝している。



沖縄本島到着三日目。
天候がよくなると判断して、早起きしてフェリーに乗り、渡嘉敷島に四年ぶりに上陸。
昨年の夏は満席で乗れなかった船だ

喫煙所で日光浴を実施していたら、渡嘉敷島民の五十代後半の男性が、色々と島の状況を教えてくれた。
約三十年前に北海道から渡嘉敷島に数年住んでいた昔の先輩を知っていたのには驚いた。



乗船時間七十分。
上陸後、外側からしかドアが開かない、玉砕寸前のタウンエースの相乗りタクシーに乗車。
ひとり往復四百円で、阿波連ビーチに行く。
同乗者は、日系ブラジル人四人のファミリア。

クルマを停めて、丘の上から浜辺を見学中、船の中で知り合った男性と路面で遭遇。
五分後に、走行中に相乗りタクシーの中年女性ドライバーに着信アリ。
ワタクシのことが気になったようで、電話を代わり、電話番号を交換。
島のネットワーク力を感じた。



阿波連ビーチまでの女性ドライバーの説明が面白く、この朽ち果てたマシンに乗ってよかったと感じた。
ワタクシの本業が大家だとわかると、島の不動産事情について、詳しく教えてくれた。
島では、アパート、貸家が不足しているらしく、空きがあるとすぐに決まるそうだ。
土地の坪単価は二千円。
建坪推定十五坪の新築のコテージ風味の平屋は、すぐに満室になったといふ。

家賃は月五万円。
但し、一年分先払い。
全国から移住者も多く、常に物件が不足している。

土地も安いし、入居率もいいので、新築を建てればいいと思ったが、そう簡単な話ではなかった。
まずは、坪単価が安くても、ご先祖様の土地を手放す島民がいない。
また、島には建築会社も無く、大工も不在。
よって、沖縄本島から大工を連れてきて、民宿に止める費用がかかる。
一泊六千円。
プラス日当一万五千円。
×人数×三ヶ月。
資材の搬入も、本島から持ってくるので割高になる。



その後、沖縄本島で乗った建築に詳しいタクシードライバーによると、宮古島、石垣島もバブルで、大工の日当が三万五千円で宿泊と食事付き。
沖縄の建築業界はとても景気がいいようで、タクシーでの移動も頻繁だそうだ。
大家の経営的に考えたら、北海道のボロ物件を安く買って貸す方がいい。

さて、阿波連ビーチに到着後、バカBOYSは一月といふのに、気温が25度あるので、泳ぎ始めた。
ワタクシは、浜にあったカヌーの上で、日光浴を実施。
よく焼ける。
日光浴マニアにとって、地上の楽園だ。



ふと横を見ると、見覚えのあるロン毛の六十代前半の男性がいる。
ひょっとして、オニイサン、東京出身の元自衛隊の方ですか?
と訊くと、そうだといふ。

ワタクシ、四年前に会って、お話をしたことがあります。
あの時、なぜ、沖縄本島上陸前に米軍が慶良間諸島に上陸したのでせうかと質問したら、ここからだと那覇まで砲撃ができると説明してくれましたね。
といふとビックリしていた。
現役時代、硫黄島にも行ったことがあるそうで、戦争の話で会話が弾んだ。

東京生まれの東京育ち。
渡嘉敷島に移住して七年。
この島は天国だそうだ。
宿泊したかったが、準備不足で断念。
夕方、フェリーで本島に戻る。



行きの船尾で東からの日光を浴び、帰りの船尾で西日を浴びる。
船が進む時の風で、ほどよく冷やされ、直射日光を浴びても暑くない。
快適な小旅行だった。

沖縄本島上陸七日目。
沖縄在住の工作員と、激戦地ツアー。
レンタカーを借りて、南部のひめゆりの塔に行く。



ひめゆり部隊の女学生の書いた沖縄戦の記録を、真剣に読んだ。
麻酔なしで腕を切断した話。
恐怖で発狂した兵士の話。
帰りに受付で、女学生の戦記本を三冊購入。
書店では見つけられない貴重な本だ。



その後、陸軍病院壕に行く。
病院といっても、天然の洞窟、いわゆるガマを改造し、出入口を樹木で偽装した天井の低い狭い部屋だ。
急な坂道を下って奥に入る。
その時の茶碗のカケラが残っていた。

負傷してもまともな医薬品もなく、衛生状態も悪い。
沖縄戦末期の六月ともなれば、気温も高く、洞窟内の湿度も高い。
劣悪な環境で、よく戦った。



その後、クルマで十分ほど移動して、摩文仁の丘に行く。
四年前に来たが、今回はその時はわからなかった、第三十二軍の司令壕にいった。
太ももの激痛に耐えながら、丘の上まで続く階段を推定二百段、標高百メートルを登る。
ワタクシはハーハーいっているのに、四歳児のバブは元気よく駆け上っていった。



首里城地下にあった最初の司令部から、米軍に押され、梅雨の時期、この場所に撤退した。
最期はこの場所で、牛島満司令官と、長勇参謀長が切腹をした場所だ。
日本の兵隊さんの残留思念を強く感じた場所だった。



洞窟の奥に向かい、日本の兵隊さん、ありがとうございましたと、BOYSと叫ぶ。
百メートルくらいの高さの崖の下は海。
八原博通著・沖縄決戦に出てくる第三十二軍解散後の脱出シーンで、この崖から転げ落ちた描写がある。
こんな過酷な地形で、最後まで頑張っていたのだ。

現在の沖縄の基地問題を考えると、結局は、国家同士の不動産の奪い合いなのかと感じた、沖縄滞在であった。



CASHFLOW101
http://cf101.chu.jp/
1/11/2018
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※ 記事の内容は執筆時点での情報を基にしています。投資等のご判断は各個人の責任でお願いします。

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プロフィール

加藤ひろゆきさん

加藤ひろゆきさん

大家・作家・随筆家

□メールアドレス
cashflow101ss(at)yahoo.co.jp

プロフィールの詳細を見る

経歴
  • ムービー・スターを夢見て、ハリウッドで200本のオーディションを受ける。米国スクリーン・アクターズ・ギルド(俳優協会)のメンバー。

    マドンナやジャネット・ジャクソンのミュージック・ビデオ。ホンダやコカ・コーラのCMなどに出演していた。

    渡米後六年間、頑張ってみたが、LA時代の後半は、芸能の仕事も激減、財務がタイトになり、ホームレスになる直前だった。

    乗っていたキャディラックを売却して、航空券を購入。残った200ドルを握り締めて玉砕寸前で帰国。

    その後、つとめ人として再生を試みるが、アメリカナイズされた大和魂の受け皿はなく、挫折。うだつの上がらない人生から脱却するためには、不動産が必要だと感じた。

    安い中古車に乗って資金を貯め、大家業を目指し、激安アパート経営で再生。

    生きながら解放されることを目指している。晴れた日には土地の開拓、あるいは、マシンの走行実験を実施。雨の日には随筆を綴っている。
  • 所有物件は、戸建8棟、アパート2棟、商業ビル1棟、貸店舗3棟、貸駐車場2区画、更地5区画(常時変化している)。

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