7月21日~8月20日と1カ月続いた東南アジアの旅、最後の夜です。
マレーシアのペナン島、ランカウイ島、ベトナムのホーチミン、フーコック島、シンガポールに滞在し、今はこの旅のラストとなるペナン島のイースタン&オリエンタルというペナン屈指の名門ホテルの部屋でこの原稿を書いています。
2年間住んだペナン島から家族で日本へ戻ることを今年3月のコラムで報告しましたが、実はペナンの自宅はその後も借りたままにしてありました。
子供たちが日本の学校に馴染めずにやっぱりペナンにもう一度戻りたいということになるかもしれないし、家族で住むことをやめても僕自身はペナン島と日本を半分ずつという生活ができる可能性も残しておきたかったのです。
しかし、子供たちは日本の学校生活に満足しており、僕自身もこれからの数年間は日本を完全な拠点にしようと思えたので、最後に夏休みを家族でもう一度ペナンで過ごし、8月で完全撤退しようと決めました。今回はこの1カ月で勉強になったことを書きます。
■ 海外の定期貯金の金利と日本の不動産利回りを比較
マレーシアのMM2Hというビザを取得する時に、日本円にして800万円ほどを定期貯金する必要があったので、マレーシアの口座を開設して2年間放置していました。今回、確認して驚きました。利息が2年間で約50万円貯まっていたのです。
定期貯金っていいじゃんという気持ちになります。でも、よく考えてみると不動産投資では購入代金と改修費、その他諸経費を合わせて800万円前後で購入している小さなビルから毎月20万円ずつくらいの賃料収入があります。
800万円を預けて1年間で25万円増やしてくれる金利3%のマレーシアの定期貯金と、800万円を投資して1カ月で20万円の賃料が入ってくる利回り30%のビル投資。お金も投入する時間もどう考えても不動産投資の方が有利です。
しかし、マレーシアで口座を持つことで、躍進目覚しい東南アジアの国々の日本ではなかなか知られていない株式の投資をするチャンスや、英米豪星などの通貨で貯金・投資したりという大きな可能性があることも知りました。
僕自身は今から色々と勉強して投資して中途半端になるよりも、このままビル投資道を極めたいと思っていますが、20年若ければdeuterのバックパックを背負って東南アジアの銀行巡りの旅に出たいなあと思いました。
■ 予定より早くホテルをチェックアウトして別のホテルへ
ベトナムのフーコック島では、妻が探してくれた評判の良いホテルに3泊で予約をしました。フーコック島は日本からの直行便はないのですが、韓国や中国からの直行便はあるようでホテルにもたくさんの人が滞在していました。
彼らの中にはホテルのレストラン内で大声で電話したり、スマホから音楽を流したりする人も多くいました。3日目の朝食会場では、オレンジをボール代わりに子供たちがサッカーを始めました。
家族はもちろんホテルの従業員も注意をしない様子を見て、その夜の宿泊はキャンセルし、外資系の高級ホテルに移動しました。最高の1カ月にすると決めて臨んだこの旅行で1%の我慢もしたくなかったのです。( キャンセル分の宿泊料は返金されませんし、してもらおうとも思いません )。
気持ち良い時間を過ごせるように移動先のホテルはスイートルームを予約しました。この決断がその後のホーチミン、シンガポールの旅を最高のものにしてくれました。
■ スイートルーム宿泊で見える景色と感じることが変わった
フーコック島で変更したホテルが最高だったので、次の滞在先のホーチミンもその外資系ホテルのスイートルームを2泊予約しました。こんな時のために普段一生懸命働いているのですから、ここでお金を使わないでいつ使うのか。
僕は、旅先でお金を節約して楽しみを半減させるのではなく、旅先では王様のように楽しみ、最高の経験をして一生忘れられない思い出を作って日本でその分働けば良いと覚悟を決めたのです。
ホーチミンのホテルでは、スイートルーム&高層階の角部屋を予約しました。部屋に入るとワインが置いてあって、僕はお酒を飲まないのでどうしたものかと考えた末に、そのワインは僕のペナンの自宅の守衛さんのお土産にしました。
「 いつもありがとう。これはホーチミンのホテルのスイートルームで泊まった時のワインです。仕事が終わったらみんなで楽しんで 」と渡した時のみんなの嬉しそうな顔を見て、とても幸せな気持ちになりました。
■ ロングバーで執筆してマリーナベイサンズから飛び降りる
そして、この旅のクライマックスのシンガポール。実は今回の旅の僕の個人的な目標が、旅の先々で出版に向けた原稿を書くというものでした。
他人の価値観を排除し、自分の人生を追求した画家のゴーギャンを描いた傑作「 月と6ペンス 」の作者であるサマセット・モームが定宿にしていたラッフルズホテルに泊まって執筆するということを、僕のやりたいことリストに書いていたのです。
20年前に初めてシンガポールへ訪れた時は、安宿に1カ月滞在しながらプロサッカー選手を目指していました。そこからラッフルズホテルは徒歩5分です。5分でこんなにも世界が変わるとは。20年かけてその5分の距離を歩いてきたのかと感慨深いものがありました。
残念なことに、希望日に宿泊できる部屋がなかったため、代わりにホテルのロングバーで執筆をしました。世界中の誰もがここに来てシンガポールスリングを注文し、ピーナッツの殻を床に落とします。僕もそれにならい、子供と一緒にピーナッツの殻を床に落とすことに夢中になりました。
シンガポール2泊目は、約10年越しの願いを実現しました。僕のドン底時代にこのホテルが開業した時には、数々のテレビ番組で特集されました。最上階にあるインフィニティプールに行ってみたいと誰でも思った事があると思います。
僕も当時、妻に泊まってみたいとおねだりされたものの、1泊10万円なんて絶対に無理と保留にしていました。しかし、今回は妻の誕生日ということもあり、思い切って40階以上の部屋を指定して予約をしました。
「 清水の舞台から飛び降りる 」といいますが、まさに今回の僕は「 マリーナベイサンズから飛び降りる 」つもりで予約をしたのです。
ところが、チェックインして案内されたのは客室の中では最上階の54階の大きなスイートルーム。2ランクくらいアップデートされたその部屋に入った瞬間の妻と子供の初めて見るレベルのはしゃぎっぷりに、僕は10年ごしの喜びをかみしめました。
■ 高級ホテルに泊まったことで民泊物件を購入することに
不動産投資家として最初の10年間の僕は、コラム第3話でも書いたように、投資エリアを半径300メートルの中に集中させて、自分の全財産を投資してきました。
そのこだわりはエリアから50メートル外だったとわかっていながら購入した物件を、「 やはりマイルールに反しているからダメだ 」と売却したほどの強いものでした。
そして、このコラムを書くことになったタイミングで今の僕のセカンドエリアの物件と出会いました。こちらではほぼ現金で買い進めたため、借入残高1,800万円に対し、年間1,000万円ほどの賃料収入が上がるようになりました。
今回の旅は1泊5万円から10万円くらいのホテルに滞在しましたが、そのことで、たくさんの今後の投資イメージを得ることができました。1番大きかった収穫は、僕自身が旅館業を取得し、民泊を始めようと思ったことです。
どのような場所で、どのような形で始めるかは具体的に動き出してから報告していこうと思いますが、早ければ今年中にスタートできるのではないかと思っています。僕はこれからどこへ歩いていくのか。自分でもわかりません。
■ ペナン島完全撤退
2017年2月から賃貸契約を開始したペナン島の自宅を、この旅の最後に引き払いました。所有者であるお金持ちのオーナーさんには大変よくしていただき、僕自身もこんなオーナーさんになりたいと思いました。
長く住むつもりで高いお金を出して買ったものがたくさんありましたが、お世話になったので次の入居者のためにほとんど置いていきました。
守衛さんたちとも世間話をする仲になり、ネパールからの出稼ぎのポタさんからは「 あと10カ月したら故郷のポカラに帰るから必ず遊びに来て 」と言ってもらいました。最後の日に、まだキレイなマウンテンバイクを彼にあげました。
オーナーから、「 不用品はネットで売ってあげる 」と言われましたが、お金に変えるよりも、お世話になった人たちにプレゼントしたかったのです。
他にもたくさんの方たちに大変お世話になりました。ここでは感謝の言葉を書ききれませんが、中でもペナンへ住むキッカケを作ってくれたKさん、張田ミツルさん、本当にありがとうございました。