死にそうになりました!
というとおおげさな奴だとお叱りを受けそうですが、文字通り死にそうになりました。死の縁、それも崖っぷちギリギリまで行って戻ってきました。この2月、3月にミカオ自身が経験したことを、なるべく不動産の話を交えながらお話したいと思います。( 不動産のコラムですから )
健康に毎日を生きている方にも、きっと参考になることがあると思います。またブロガーのわくわくリッチさんによると、大家さんの心停止率が高いとのこと。忙しい大家さんにも読んでいただければと。
■ 目が覚めたら瀕死の重体
ある時、目が覚めたら、両腕に点滴、右手の点滴は動脈に打たれていて手首が動かないように黒いサポーターで固定されている。のどには人工呼吸器の管が入れっぱなしにされ、声がまったく出ない。のどに入れられた管が苦しい。
あとから聞いた話では、いつでも電気ショックを行えるように人工呼吸器を入れっぱなしにして、スタンバイしていたそうです。背中には固い板が置かれている( 心臓マッサージができるように )。
鼻にも細い管。体全身に力が入らない。尿管が付けられ、紙おむつをはいていることに後から気が付く。
左を見ると、嫁さんのミカコが、ボクの手を握って大きな声で泣いている。その後ろには娘、姉、ミカコのご両親が並んでこちらを見ている。心電図の音と呼吸器の音がする。目と耳はしっかりと働いている。
ドラマでよく見るシーンだけど、まさか自分がその当事者になるとは…
ああ! オレはここで死ぬのか! どうしてこんなことになってしまったんだろう??? まるで思い出せない。
人生の最期はずいぶんとあっけないな、と思うがどうにもならない。手も足も声も出ない。
これが3回目の心停止後の、ボクの置かれた状況でした。ひらがな表を左手の指で指すことにより、なんとかコミュニケーションが取れました。
まずは『 ありがとう 』と今までのお礼。次に『 ○○銀行に行け 』と、団信の効いた2つの借金をチャラにするように指示。『 ○○に行け 』と生命保険を受け取るように指示。
団信と生保に入っていてよかった。普段からその辺のことは家族に話していたけど、最後の最後に念を押しました。あれだけ不動産があれば、家族が路頭に迷うことはないだろう。
アパート4棟をローンで買った後の不動産は、レバレッジを掛けずに現金主義でよかった。今、仕掛かっているのは戸建て3件だが、いずれも現金で、ゆっくりやっても問題ない。これがギリギリのローンだったら、家族を逆に苦しめてしまうだろう。
自分でシェアハウスを運営するような面倒なことをやってなくてよかった。労働力投入は好きな者なら楽しいけど、押し付けられる家族にはたまったものではないはずだ。
HSBC香港の口座を手仕舞っておいてよかった。ときどき香港から電話がかかってきていたけど、海外投資はミカコには無理だ。しかし、死ぬ間際もお金の心配か…。
そんな死に瀕したボクの横で、医療スタッフとミカコが、医療保険や高額医療費の話、職業、正規か非正規かなどの話をしている。やはり病院側もお金が気になるようだ。
ボクが寝かされていたのは、大きな大学病院のG-ICU( 一般集中治療室 )で、一泊当たりかなりの金額がかかるようだ。このICUに結局10日間寝てから、一般病棟に移り、病院で約2カ月すごすことになる。
3回目の心停止をした翌朝、看護師さんに「 昨日は蘇生できてよかったですね 」と言われました。蘇生に立ち会った看護師さんでした。それほど危ない状況だったのか…
■ 家族はありがたい
自分が寝ている場所がG-ICUで、入院の翌日に心停止が起きて、ここに運び込まれたと、家族や看護師さんから聞いて、ようやく入院したことを思い出し、状況がわかってきました。
しかし薬で頭がボケていたせいか、なんで自分がここに寝ているんだろうと、ちょくちょく思うようになっていました。夜起きて呼吸器がのどに入っていて、ここはどこ?なぜこんな状態?といった感じ。今思い出すと笑えますが、当人は本気でした。
もともとボクは心房細動という、命にかかわらない、誰にでも起こるような不整脈で治療を受けていました。2月の土曜に設計の発表会があり、本当は出るべきだったのですが、心臓の調子が悪く、仕方なく午前中に病院に行きました。
専門外来を尋ねたらまだ先生がいて、すぐに検査をして、入院した方がいいでしょうとのこと。医師のそのひとことが、ボクの命を救いました。
次の日曜の朝に、心室における致死的不整脈に襲われ、心停止状態。医師の診断書には「 心肺停止 」と書かれています。ニュースで心肺停止とは、死亡とほぼ同義です。
心電図をモニターしていた看護師さんに後から聞いたら、ちょうどナースセンターで心電図を見ていたときにボクが心停止状態になったとか。その方が発見してくれて、日曜の病棟が大騒ぎに。
すぐに人工呼吸器をのどに突っ込み、背中に固い板を入れ、心臓マッサージや電気ショック。次にG-ICUに移動。その看護師さんは、ボクが一般病棟に戻った時、「 ○○さんが元気になってほんとによかったー。顔が全然、別人みたい 」と言ってくれました。医療スタッフの方々には、感謝の言葉しかありません。
日曜に心停止、蘇生後、月曜は鎮静剤で眠らされていて、ボクが起きたのは火曜。火曜に家族が見舞いに来たときは意識があり、新聞を買ってきてと頼み、今日が火曜、今が夕方と認識。ニューヨーク市場が暴落、それにつられて東京も暴落したことがトップニュースでした。
不動産にもチャンスが来るかもと、自分の命も危ないのにそんなことをのん気に考えていました。新聞の細かい字を読んでもあまり頭に入らず、疲れるばかり。
その後、夕方と夜に2回目、3回目の心停止が起こります。家族にはそのたびに家に病院から電話が来て、生きた心地がしなかったと言っていました。家族には大変迷惑を掛けてしまいました。家族には本当に感謝しています。
毎日お見舞いに来てくれる、心配してくれる家族のありがたみを、こんなに感じたことはありません。
生きてここを出られて、家に帰って、家族と生活できたらどんなにか幸せだろうと、ICUの天井を見ながら考えていました。ボクの幸せは、ただ単にそれだけでいい。不動産はその助けになるだけで、それ以上はいらないと。
■ 死とは何かを確信
3回の心停止の後に、運よく蘇生しました。後遺症も出ていません。家族には後遺症が出るかもと知らされて、覚悟もしていたようですが、それも運よくありませんでした。
ICUでは1時間おきに採血してその場でカリウムの量を調べ、点滴のスピードを微調整してくれていました。ICUの医療関係者にも、感謝の言葉しかありません。
後から姉に聞かれましたが、臨死体験はまったくありませんでした。30分間、心臓マッサージと電気ショックを2サイクルした時もありませんでした。心停止の際は、意識がまったく飛んでいます。
臨死体験、すなわち幽体離脱も、お花畑も、走馬灯も、川も、先祖の出現もありません。時間も空間も家族も地球も宇宙すらない、何もない世界です。もちろん不動産もお金もありません。
医師がボクの胸をたたいて名前を呼んだときにボクが意識を戻し、「 ○○さんの意識が戻りました! 」と言われたこと、自分の上に医療関係者の顔が大勢並んでいたことは、はっきりと映像として記憶に残っています。意識を失ってから蘇生するまでの時間感覚は、まったくありませんでした。
そのまま意識が戻らない、何も無い状態が永遠に続くのが死というものだと、ボクは今では確信しています。家族も宇宙も、自分の今まで積み上げた記憶も人類の歴史も何も無いんです。
感覚と意識で世界を認識し、世界の存在を自分で確認するわけですから、少なくとも自分にとっては、感覚と意識が消えた段階で世界が消えるということです。いくら考えても不思議です。
■ 命は運に支えられている
たまたま病院にいたので、それもG−ICUのある大きな病院での、循環器病棟での急性心不全で、運よく早く発見されて早く治療されたので、ホントに運よく助かりました。生死を分けるのは、やはり運でしかありません。
亡くなったオヤジは、海軍志願兵で、多くの死地を潜り抜けてきました。右肩、鎖骨上に弾痕も残っていました。話すときりがありませんが、もっとも印象的なのが、館山沖に停泊していた空母信濃に乗艦できなかったことです。
上官の命で館山航空隊の基地勤務となったことが、彼を、また後から生まれるボクを救いました。乗艦できなかった不運が、幸運に変わりました。空母信濃が爆撃を避けて呉に行く途中、紀伊半島沖で、米潜水艦に魚雷で撃沈されました。乗っていたら、父の命はありませんでした。
芸能人が急性心不全で亡くなるという記事がよく出ますが、医師によると、その多くが致死的不整脈によるものだそうです。ボクが入院していた2カ月間で、3人の芸能人の方が急性心不全で亡くなりました。その中にボクが好きな俳優さんもいたので、結構多いんだと実感しました。
元気に俳優の仕事をした後だったとか。健康な方も、スポーツマンでも、生活の中で、またスポーツしている時に突然、急性心不全に襲われて死亡することが多々あるそうです。特にアジア系男性に多いとか。
ボクはたまたま大きな病院で、それも心電図がモニターされている循環器病棟で致死的不整脈が起きたから、一命を取り留めました。土曜に家で療養していたり、病院に行っても専門外来が終わっていて医師がいなかったりしたら、もしくは街中で起きていたら、今頃とっくに灰になっています。
また冬休みには家族で海外に遊びに行っていましたが、ホテルや飛行機の中で起きても命はなかったでしょう。心臓マッサージやAEDが間に合いません。たとえ間に合っても、その後が続きません。
偶然というか運に助けられました。ちょっと何かがずれているだけで死んでいたわけですから。一度命を失えば、後はまったくありません。命はひとつしかないと、痛いほどわかりました。
今生きているのが不思議で、本当は死んでいてこの世界は幻かと思うほどです。
かぼちゃの馬車の問題で自殺者が出たとのニュースを読みましたが、なんと愚かなと思います。心停止した心臓を蘇生させて普通の状態にするのがどれほど大変か。健康に脈打っている心臓を自分から止めるなんて、本当に馬鹿げている、命がもったいなさすぎる。
死んでしまったら、自分が救おうとしている家族だって、目の前から消えて無くなってしまうんです。お金の問題ぐらいだったら、そして健康ならば、また家族と一緒にやり直せばいいんです。
今日のまとめとして
命あっての不動産 死んだらしまい
となります。皆様の勉強の一助になれば幸いです。