今回の大家列伝は、2018年に不動産投資を始め、約10ヵ月で6戸の戸建オーナーとなったオロゴンさんに登場いただきます。オロゴンさんといえば、元銀行員としての知識を生かしたマネ―ハック系のツイートが人気で、フォロワーは約3万人。年収1千万を得ていた銀行員を10年で辞め、福岡に移住した理由や、ツイッターから得ているもの、会社経営を離れ大家になるために実行したこと等をうかがいました。
■ 福岡に移住し、九州の築古戸建6戸の大家に
華子
自己紹介をお願いします。
オロゴンさん
福岡在住で、九州に築古戸建て6戸を所有しているオロゴンです。もともと九州出身で、自然に囲まれた環境で育ちました。大学卒業後は東京の都市銀行で約10年間働き、33才のときに妻と僕の実家に近い福岡にUターンしました。
福岡に移住した当初は会社を経営していましたが、色々事情があって、その会社の経営権は返上しました。現在は不動産投資に注力していて、家賃である程度のストック収入が確保できたら、将来的には色々なビジネスに投資をしていきたいと考えています。
華子
オロゴンさんといえば、ツイッターでのマネ―ハック記事が人気ですね。
オロゴンさん
ありがとうございます。Voicyでも有名なサウザーさんにお会いしてみたくて参加したセミナーの懇親会で、noteを使った有料商材で大成功している方と隣の席になりました。
彼から「 自分のなかで『 当たり前 』と思っている常識も、人から見たらお宝だったりする。とりあえず何でも情報を発信してみたらいいですよ 」と言われたんです。
「 そんなもんか…? 」と思いながら、1年くらい前にツイッターで自分の知っている知識の発信を始めたのがきっかけです。当時は「 こんな情報が本当に誰かの役に立つのか? 」と半信半疑だった事をよく覚えています。
ツイッターを始めて1カ月半くらい経ったとき、銀行員には基礎中の基礎知識である「 保証人と連帯保証人の違い 」についてツイートしたところ、インフエルエンサーの方を始めとする多くの人から想像を超えた反響があり、トータルで13万いいねをいただきました。
そのツイートをきっかけに多くの方に認知いただき、今は3万人以上の方にフォローしていただいています。

よく「 それだけフォロワーがいるとお金も儲かるんでしょ? 」と聞かれるんですが、個人的には、ツイッターをビジネスとはとらえていません。
お金を儲けるというより、新たな人や情報との出会い・つながりというところに大きな価値を感じています。信用を貯蓄することで、利息・配当として「 無形資産 」を受け取っているイメージですね。
■ 給料1千万の銀行員生活が、「 しょうもない人生 」に思えた
華子
どんな生い立ちで今に至るのか、教えてください。
オロゴンさん
僕は中学・高校と地元の進学校に通いました。通っていた高校は、理系なら医者、文系なら弁護士か官僚を目指すという空気だったので文系の僕は、東京のとある大学の法学部に進みました。
親からも、そこそこの大学に行って、そこそこの職業に就くというミッションを課せられていた気がします。当時はそれが人生のゴールだと思っていた節がありますね。今、考えると、ただのスタートラインに過ぎなかったわけですけど。
お金持ちになってやる! とか起業したい! とか、そういうハングリーな意識は特に持っておらず、ただ、自分が育った家庭と同じくらいの生活水準でこの先も暮らしていければと思っていました。完全に「 意識低い系 」の学生でしたね。
華子
なぜ、銀行員になったのですか?
オロゴンさん
僕らの頃は、都市銀行は文系学生の就職先ランキング常連の人気企業だったんです。そんな人気企業のひとつを受けてみたら、なんと初回の面接からものの数日で内定が出てしまった。
当時ちょうど銀行は大量採用を行っていて、僕らとしては当たり年でした。やりたいこともとくになかった「 意識低い系 」の僕は、なんとなくそれで満足して、就活も終えてしまったんです。
同じく銀行員だった父からは、「 しんどいぞ 」「 やめといた方が良い 」と反対されましたが、あまり聞く耳を持たずにそのまま決めてしまいました。( 後にこの忠告は正しかったことを思い知らされるわけですが…。)
華子
実際に入ってみて、いかがでしたか?
オロゴンさん
法人営業の融資担当者として地方の支店に配属され、入るとなかなか壮絶な現場でした。「 銀行は3時で窓口が閉まるぬるい会社 」と思っている人がいますが、それは大間違いです。
融資担当者は、融資実行額や手数料収益など様々な種類の目標( という名のノルマ )を割り振られて、毎日必死に働いています。僕も数字に追われて、必死の毎日を過ごしました。ストレスからか毎晩飲みに繰り出すので、お金は全然貯まりませんでした( 笑 )
数年後、本部の企画担当部署への辞令を受けて、本社のある東京に異動となりました。その後、給料は30才で1千万円に届きましたが、裁量労働制で残業代がつかないので、労働時間がとにかく長かったです。
始発で行って、終電に乗れず夜中にタクシーで帰宅することも当たり前の日々。当時は色々と考えましたね。小学生の頃から塾に通って、受験戦争も闘い抜いて、それなりの会社に就職したはずなのに、このしょうもない人生は一体なんなんだ…とか。
華子
大変でしたね。
オロゴンさん
仕事も政治的な根回しが必要だったり、上司が自分の出世の為だけに組織を動かしている様子が見え見えだったりして、自分の仕事が誰の役にも立っていない気がしていました。平日の疲れから休日はゴロゴロ寝て過ごしてしまいがちなので、家族で過ごす有意義な時間もあまりない。
それに東京に住んでいると、生活コストが高いじゃないですか。例えば月極駐車場が高すぎて、車を持つのもバカらしい。いつも、「 これでいいのか 」という疑問が頭にありました。
華子
10年勤めた銀行を退職するときはどうでしたか?
オロゴンさん
退職届を出すときは緊張しました。上司が冷静に受け入れてくれたのは意外で拍子抜けしましたが、結局は自意識過剰だったんでしょうね。「 俺みたいな優秀な人材は必死に引き留められるはずだ 」的な( 笑 )。会社は自分なしでも全然余裕で回っていくんだな、とその時ハッと気付きましたよ。
■ 福岡で「 カネなし・コネなし・スキルなし 」の雇われ社長に
華子
退社を決めた直接的なきっかけはあったのでしょうか?
オロゴンさん
一番のきっかけといえるのは妻の病気でしたね。妻は僕と同じ九州の出身で、ずっと実家暮らしだったんですが、僕との結婚を機に上京したんです。
その妻が体を壊してしまったので、地元の近くに帰してあげたいと思っていました。僕自身も東京にマイホームを買って、ずっと住むというイメージが湧かなかったんです。
丁度、先に銀行を辞めて福岡で不動産業を始めていた先輩から、「 人材派遣の会社を新たに立ち上げるからそこの社長をやってみないか 」と声をかけてもらったので、それに乗っかってみました。
銀行でもまあまあの実績を上げていたし、それなりに経営者としてもやっていく自信があったんです。今となってはその「 根拠なき自信 」もどうやら勘違いだったんだなぁと思いますけど( 笑 )。

華子
やってみてどうでしたか?
オロゴンさん
最初は、まっっったく上手くいきませんでしたね( 笑 )。未経験の分野なので、知識やスキルもないし、福岡は地縁もないのでコネクションもない。まさに「 カネなし・コネなし・スキルなし 」の状態でした。皆さんは、せめてどれか一つはある状態で独立しましょう( 笑 )。
飛び込み営業はもちろん、仕事が終わっても異業種交流会や名刺交換会に行ったり、飲み屋や飛行機で隣に座ったおじさんが経営者とわかればすぐさまナンパ( 営業 )したり…自分なりに必死でやりました。
華子
厳しい世界ですね。
オロゴンさん
まあ、それでも今思えば、他人の資本でビジネスをしている分、甘い部分は大いにあったように思います。それに、労働時間は減り、雇われ社長なので売上に関わらず給料はもらえて、東京時代より格段にQOLは上がりました。
特に家族と過ごす時間が増えたのはよかったです。仕事の方も同業者に頭を下げてノウハウを学び、1年後には何とか経費を賄えるようになり、2年後には会社としても利益を出せるようになりました。
■ 週末を利用して副業で月10万円を稼ぐ
華子
それはよかったですね。
オロゴンさん
はい。でも、人材派遣業にあまり興味が持てなかったのと、人をコマのように扱わねばならない場面がどうしてもあるので自分には向いていないと思っていました。結局、2年半でその仕事からも身を退くことを決断しました。
特に次を決めていたわけではありませんでしたが、副業として始めていた転売ビジネスで月に10〜20万円の収入があり、貯金も十分にあったので決断しました。片手間でそれなりに稼げていたので、転売の方にフルコミットすれば生活には困らないかな、と。
華子
副業について教えてください。
オロゴンさん
雇われ社長時代、地元の経営者や自営業の方と飲みに行くと、お酒の席で「 お前は雇われ社長だから気楽でいいよなあ 」と、下に見られることが多く、悔しかったんです。それで、「 自分でもリスク取って商売をやってみよう!」と、休日を使って始めました。
具体的には、セールで安く仕入れた商品をアマゾンやヤフオク上で売るという典型的な手法ですね。特に本を買って学んだとかではなく、自己流でした。海外からの輸入や輸出なども一通りやりましたね。
やってみると、「 食えなくもない 」という感じですが、誰でも参入できるので消耗戦になりますし、価格チェックや商品の発送で常に自分の体が忙しいんです。
あと、何よりもそんなに「 面白くなかった 」( 笑 )。仕入れと販売価格の違いにだけフォーカスするので、結局は数字だけなんですよね。ビジネスをやっている実感があまりないんです。
その頃から、労働集約型ではなく、お金も時間も手に入るビジネスはないかと考えていました。会社経営で人をマネジメントすることの難しさにも疲れていたので、一人でできる仕事を何となくいつも探してアンテナを張っていました。
■ 50軒見たところで、「 どう考えても安い 」物件を購入
華子
それで、不動産投資に興味を持ったのですか?
オロゴンさん
はい。そんな状況で何となくツイッターを見ていたら( 当時は読む専門 )、始まったばかりのサウザーさんのvoicyが評判になっていて、聴いてみると、当時の僕にピッタリの内容だったんです。「 資本主義ゲームの攻略方法 」なんてあまり考えたことがありませんでした。

サウザーさんがラジオで紹介していた不動産投資は築古の戸建を対象にしていて、小資本でも始められるということだったので、関連書籍を20冊くらい読み、とりあえず地元で安い戸建を探してみることにしました。
「 習うより慣れろ 」ということで、とにかく物件の外観を見に行きましたね。50件くらい見て段々目が慣れてきたところで、「 これはどう考えても安い! 」と思える物件に出会い、2018年12月に1号物件を購入しました。
華子
どんな物件ですか?
オロゴンさん
福岡の郊外にある築40年の7LDKの戸建てです。都会に住んでいる息子さんが相続したけれど、誰も住まないので処分したいと、私が以前、問い合わせを入れたことのある不動産屋さんに持ち込まれた物件でした。中に入ると残置物が満載でしたが、作りがしっかりしている印象でした。
不動産屋さんに、「 いくらでもいいので、値段を決めてください 」と言われ、「 80万円 」というと、すんなり通りました。まだ使えそうな家でしたし、まだ安く買うことへの遠慮があったので「 80万 」にしましたが、今なら、「 30万円 」と言います( 笑 )

残置物がもりもりあった

華子
購入する際にはどこをチェックしましたか?
オロゴンさん
まず、直すとお金がかかる水回りです。この家は幸い、トイレとお風呂はそのまま使える状態でした。あと、畳が死んでいるとか、壁に穴が空いているのは自分で直せますが、屋根は触れないので雨漏りのある物件はなるべく避けています。
外壁も気にします。築古物件ってモルタルが変色していたり、トタンだったりして茶色っぽい家が多いんです。でも、この家は白い吹付で、ボロい感じがしませんでした。それと、地方なので駐車場は重視しています。
華子の編集後記
穏やかで知的な印象のオロゴンさん。銀行員時代は年収1千万円があってもつらかったという話が印象的でした。明日の後編では、一棟目のリフォームや客付けについて、10ヵ月で6戸の物件を買うために実行したこと、今ならこうするという反省点等をお聞きします。お楽しみに。