今回の大家列伝は、横浜在住で札幌の一棟アパート等に投資し、家賃年収4,600万というボクサー大家さんにお話をうかがいます。一級建築士でもあるボクサー大家さんは、1988年に最初の物件を買い40才で2億の借金を背負う中で、大きな失敗を経験されたそうです。
自己破産も覚悟した逆境から立ち上がり、49才の時にもう一度、不動産投資で「 中金持ち 」を目指したボクサー大家さんが選んだ投資手法とは? 上司と合わずに転職を繰り返すなど、荒波にもまれながらも夢を諦めないボクサー大家さんの粘り強さに注目です。
■ 家賃年収4,600万円、7年前に兼業大家から専業大家へ
華子
自己紹介をお願いします。
ボクサー大家さん
横浜在住のボクサー大家です。年齢は6X才で、7年前から専業大家をしています。現在は札幌を中心に6棟78室を所有しており、家賃年収は約4,600万円、返済比率は約38%です。
2018年に長男を代表にした法人を作り、アパート二棟をそちらに売却したので、厳密にいえばその二棟と法人で取得した一棟は私ではなく息子の会社の持ち物です。今日は息子も一緒に連れてきました。
アリさん
息子のアリ( 仮名 )といいます。27才です。よろしくお願いします。大学を卒業して3年間金融系の会社に勤め、1年ほどの海外勤務を経て、帰国後に父と会社を立ち上げました。
父が代表取締役会長で、僕が社長です。札幌での不動産投資をさらに展開させるため、去年から札幌に支店を開設し会社が所有する札幌のアパートに住んでいます。
札幌市内の物件
華子
お二人でありがとうございます。まず、ボクサー大家さんが不動産投資を始めたきっかけを教えてください。
ボクサー大家さん
学生時代から邱永漢先生の本が好きだったんです。「 株が本命、不動産が一番 」「 財産といわれるものは株と不動産しかない 」「 賢者は中金持ちを目指す 」。
これらは邱先生の名言です。「 月100万円あったら中金持ち 」という言葉を見て、自分もそうなりたいと思いました。
華子
最初に買った不動産はどんなものですか?
ボクサー大家さん
1988年にシアトルのコンドミニアムを8,000万円で買いました。もちろん借金です。その頃、邱先生が香港の不動産で100億円の利益を得たと海外不動産をプッシュしていたので、日経新聞の広告を見て、「 コレだ! 」と思いました。
その翌年には川口の新築区分マンションを購入。こちらは3,700万円で買い、2年後に4,500万円で売れました。シアトルの物件も「絶対儲かる」という触れ込みで期待したんですが、こちらは残念ながらマイナス。原因は為替です。
華子
何があったのでしょう?
ボクサー大家さん
この案件は購入時点で10年後の売却が決まっているスキームでした。ところが購入時に150円だった円が10年後に88円になり、2,500万円の損失が出てしまったんです。
評価額は3割上がっていて現地通貨で買っていればプラスでしたが、そんなことを言ってもどうにもなりません。同じ物件を買った日本人投資家たちと「 売る時期を延ばしてくれ 」と裁判までおこしましたが、ダメでした。
華子
2,500万円は大きいですね…。
ボクサー大家さん
それだけじゃないんです。実は89年の株価4万円の時代にT信販から年利8%で6,000万円を借りて、株にも投資していました。ピーク時は株と不動産で約2億も借金がありました。
ただ、その時は「 2億借りて1割増やせばいい。金利なんて楽に払える 」と本気で思っていたんですよ。
華子
バブル時代は右肩上がりが永遠に続くとみんなが信じていたといいますからね。
ボクサー大家さん
その通りです。しかし、バブル崩壊。結局、株とシアトル不動産で合計4,500万円の損失を出してしまいました。お金をかき集めても1千数百万円足りず、本当に参りました。ところが家で「 もう自己破産しかね~な~ 」とか言っていたら、妻が「 私が払います 」とお金を用立ててくれたんです。
原資は妻がピアノ教師として得たお金と私の給料だと思います。私がすぐ会社の上司とケンカしたりするので何かあった時のために貯めてくれてあったんですね。この時の経験から、為替リスクのある海外不動産投資やキャピタル狙いの投資はやらないと決めています。
■ 「 中金持ち 」を目指して49才で早期退職
華子
まさに内助の功ですね。ところで、ボクサー大家さんの名前の由来は何ですか?
ボクサー大家さん
学生時代、ボクシング部の主将だったんです。ボクシングばかりやっていて、大学には8年通いました。5年目以降はペンキ屋のアルバイトをして学費も生活費も自分で賄っていましたが、母には心配をかけたと思います。
母は今でいうシングルマザーで、私たち兄弟を実家に預けて旅館の仲居の仕事等をしていました。明るい家庭でしたが裕福とはいえず、投資に興味を持ったのはその影響もあったと思います。
ボクシングもジムを経営する先輩から「 お前ならチャンピオンになれる 」と言われ一時はプロを目指したのですが、日本一になってもそれほど稼げないと知り、就職を選びました。興行の世界独特の危うさもありましたし…。
華子
堅実な道に進んだのですね。給料の高い大手企業に入ったのでしょうか?
ボクサー大家さん
大学は理工学部建築学科で、8年生の時にOBから大手のT建設に誘ってもらいました。ところが卒業が決まったのが卒業式の数日前。フランス語がバツで、教授が出張していたソルボンヌ大学まで国際電話をかけてなんとか単位をもらいました。
そんな調子でT建設はダメになってしまい、面接だけで入れる一部上場の建設会社、I社に滑り込みました。最初は現場監理の仕事で、一級建築士の資格を取ってからは設計に関わる部署。
給料は悪くなかったですが、33才で結婚して子供も生まれ、35才で自宅マンションを買い、その後は株や海外不動産の失敗もあったため、余裕はなかったです。ただ、一度は失敗したものの、「 中金持ちを目指す 」という目標を捨てたわけではありませんでした。
華子
次は何をしたのでしょう?
ボクサー大家さん
49才の時に早期退職の募集があったので、それに手をあげて退職金1,400万円を受け取りました。給料だけでは邱先生の教義に追いつかない、この退職金と貯金を合わせた2,000万円を元手に、「 今度は堅実にいくぞ 」と不動産投資にもう一度挑戦することにしました。
■ 区分で小さく始めて、アパート、マンションへと規模を拡大
華子
無職では不動産投資どころではないと思います。次の就職先はすぐに見つかったのでしょうか?
ボクサー大家さん
退社したI社が次の就職先となる不動産会社を紹介してくれて、給料も上がりました。ただ、この会社は通勤に片道2時間かかる上に上司がみんな年下で面白くなかったです。家族のために勤めていましたが、1年半後に上司とケンカして辞めました。
I社を退職した49才から62才までの間に6回転職しています。すべて不動産会社で、建設に関わる全般の仕事等をしていました。当時、嫌だったのが近隣交渉です。あれは大変でした。もう二度とやりたくありません( 笑 )。
華子
本業では転職を繰り返したということですが、不動産投資の方はいかがでしたか?
ボクサー大家さん
6社を転々としていた約10年間で中古区分2戸、中古戸建て1戸、一棟アパート4棟を買いました。最初は数百万の区分で小さく始めて、次第に数千万のアパート、1億オーバーのマンションと規模を拡大していきました。
また、自己資金はほとんど家賃収入から調達しました。同じ業界内での転職だったので、融資も問題なかったです。
札幌市内の物件
華子
どんな物件を買ったのでしょう?
ボクサー大家さん
まず、2002年に都内の区分マンションを810万円で購入。元同僚からの紹介で利回りは15%あり、7割の融資がつきました。安い理由は任意売却だったからです。売主はバブル期にこの部屋を9,800万円で買ったそうです。値下がりのスピードがすごいですよね。
決済の場で売主さんと話したのですが、この方はいわゆる貸しはがしにあい、銀行から4億借りて建てたマンションも2億で手放すことになったと嘆いていました。
元は土地持ちの資産家なのに、家族が生きるための一棟を残して全部売らされたそうです。当時はこういう話をけっこう聞きました。ちなみにこの物件は6年後に1,000万円で売却しました。
華子
そうだったんですね。2戸目も区分でしょうか?
ボクサー大家さん
そうです。不動産会社に就職した学生時代の仲間や元職場の同僚などに「 オレ、不動産投資を始めたからいい物件があったら教えて 」と伝えてあったんですよ。すると、2004年に横浜の区分マンションを紹介されました。
利回りは18%、売主さんはコイン商だった方で商売がうまくいかず任意売却で出てきた物件でした。こちらは現金で買い、売主さんがリースバックでずっと住んでくれています。同じ年に都内の利回り15%の戸建ても現金で仕入れ、こちらも同じ人がずっと住んでくれています。
華子
それはよかったです。最初の頃は都内や横浜に買っていたんですね。
ボクサー大家さん
そうです。ただ、この物件の次からはすべて札幌です。区分と戸建ての投資がうまくいったので、次は一棟物に進もうとしたのですが、利回りを求めると首都圏はどうにも厳しい。
それで福岡、名古屋、仙台、札幌で検討した結果、200万都市で街の魅力も多い札幌が一番固そうだと思いました。これまで札幌に8棟のアパートやマンションを買い、2棟を売却しました。
サラリーマン時代に買ったのが4棟で、会社を辞めた後にも4棟買っています。
華子の編集後記
ゴルフ焼けした肌と引き締まった身体がアスリート時代を彷彿させるボクサー大家さん。30代での大失敗で得た教訓を胸に、50代でもう一度不動産投資に挑戦した話から、勇気をもらう方も多いのではないでしょうか? 明日の後編では物件購入の基準や事業継承についてお話をうかがいます。お楽しみに。