今回の大家対談は、元銀行員という共通点を持つオロゴンさんときょうへいさんに登場いただきます。お二人とも大学を卒業後、都市銀行に入社され、現在は専業で不動産投資をされています。全四回の対談です。
■ 最終的に辿り着いたのが不動産投資
オロゴンさん
きょうへいさん、今回は大家対談ということで、よろしくお願いします。では、自己紹介から始めましょうか。
僕は大学を卒業後、都市銀行に9年務め、その後の1年間、人材派遣会社の代表を務めました。人材派遣会社は喧嘩別れの様な形で去り、そこで生活をどうしようかと考えた末に不動産賃貸業を始め、独立しました。
現在、戸建が15戸と全空アパートが1棟、計19室保有しています。銀行員時代とは違い、独立してからは融資を引ける状況ではなかったので、北九州で安い戸建を現金で購入し、DIYやアルバイトを雇ってリフォームし、少しずつ増やしてきました。小規模ながら、楽しく不動産賃貸業を行っています。
きょうへいさん
私は大学を卒業後、都市銀行に入って約8年半勤めました。不動産投資を始めたのは、入社4~5年目の時。会社から独立したい気持ちがあり、最初はセドリなどの副業をやってみましたが上手くいかず、最終的に不動産賃貸業に辿り着きました。
最初は区分マンションを買い、次からは戸建を買ってシェアハウスにすることを5軒続けて行いました。また、かぼちゃの馬車の事件後は、困っているオーナーから物件を転貸する商売も始めました。それがスタートから4年目くらいで、その頃に収入の目途が立ち、銀行を辞めることができました。
現在までに戸建やアパート、借地の築古ビル等を購入していて、事業規模でいうと所有が約70室、転貸しているものが約90室です。今、会社員を卒業してから4年が経過したところです。
■ 毎日終電で帰る生活に嫌気がさす
オロゴンさん
銀行員時代のお話を伺いたいのですが、きょうへいさんはどんな部署にいたのですか?
きょうへいさん
新卒で入社してから支店に配属され、中小企業向けの法人営業をやっていました。その後、本部で大企業の営業、その後は審査部門に配属されました。
オロゴンさん
東京の本部に行って、大企業を担当してから審査部を経験しているとは、かなりのエリート街道ですね。本部ではどのセクターを担当していたのですか?
きょうへいさん
製造業系です。その会社に銀行が出資していて、その企業の再生を行う部署にいました。その後、同じセクター関連の審査を担当していました。
オロゴンさん
私は入行直後にリーマンショックを経験しているのですが、きょうへいさんのいた製造業セクターはリーマンショック後に相当大変そうだったと記憶しています。その部署には希望して入ったのですか?
きょうへいさん
まさにその大変な時期に担当していました。自分で希望したわけではないんです。できれば不動産関係の業務を担当したいと思っていましたが、全然関係ない部署に配属されました。
オロゴンさんは銀行員時代、どんなことしていたのですか?
オロゴンさん
最初は地方の支店に配属され、地元企業の融資を担当していました。その後、本部の個人の融資のプロダクト企画を長くやっていました。
きょうへいさん
何年目から本部で働いていたのですか? 企画部門というと、銀行の中だとかなりいい部署ですよね?
オロゴンさん
本部に異動になったのは3年目のときです。本部といってもなんでも屋に近く、役員むけの企画説明から、取引先企業への訪問営業などいろいろやっていました。Webを使った新サービスを立ち上げるなど、商品企画部門に6年くらいいましたね。企画といっても個人部門だったので、花形のエリートという感じではなかったです。
ただ、企画は裁量労働制だったので、残業がかなり多かったです。毎朝8時に出社し、帰るのは夜中の24時を過ぎるのが普通でした。当時、新婚でこどもも生まれたばかりだったんですが、家と職場の往復だけで時間が過ぎていって、「 この生活は何なの? 」「 何のために生きているんだろう? 」と思いながら過ごしていました。
今はそこまででもないときいていますが、当時はかなりきつい職場でしたね。きょうへいさんのいた審査部門でそういったことはありましたか?
きょうへいさん
朝は同じくらいでしたが、遅くとも22時には帰っていました。忙しい時期でなければ、20時ごろには帰宅できました。残業時間の制約があり、会社から仕事が終わっていなくても帰れといわれるんです。ただ、その分、家でも仕事をしていたので、ストレスは結構ありました。
きょうへいさんの所有アパート
■ 銀行はいらないものを売る仕事?
オロゴンさん
きょうへいさんは、なぜ銀行員になろうと思ったのですか?
きょうへいさん
私は「 金融 」というものに対して、憧れがあったんです。一般の人から預金を集めて、一人ひとりとしては少ない金額ですが、それがまとまったお金になり、そのお金を企業に貸して工場を造ったり、設備の為に貸したりするのはいい仕組みだと思っていました。
入社した時に、「 日本と違って、海外の企業は資金需要がある一方で、貸せる人が少ない。海外の会社に貸して、金融を通して経済支援をしたい 」と話していたのを覚えています。オロゴンさんは、なぜ銀行員になろうと思ったんですか?
オロゴンさん
私は、きょうへいさんの様に崇高なことは考えずに、就職ランキング上位だったからという理由だけで入社を決めました(笑)。振り返ると、バカだったなぁと思います。当時の就職は売り手市場で都市銀行はどこも大量採用をしていました。そんな都市銀行だけいくつか受けて、すんなりと受かったので、もうこれでいいやという感じで就職活動を辞めてしまったんです。
きょうへいさんの時と違って、面接して2~3日で内定が出る時代だったんです。簿記とかの経済知識もないまま銀行に突っ込んだんですよ。きょうへいさんみたいにきちんと考えてから入社すればよかったと思います。
きょうへいさん
いえいえ、オロゴンさんもそうかもしれませんが、銀行に入ってみたらイメージと全然違うなと感じましたし。
オロゴンさん
どのあたりが違うように感じましたか?
きょうへいさん
例えば、昭和から使っているような加算器と呼ばれるレジみたいな装置が残っているなど、運用が非常にアナログでした。最初に配属された支店では社員も年配の方が多く、お客さんもお年寄りが目立ちました。
大学の同期でベンチャー企業に就職した友人が、入社してすぐに新規事業部門で部下を持ったとか話すのを聞いて、「 自分はこんなところで加算器を叩いていて大丈夫だろうか… 」と心配になりました。
あと、会社全体が体育会気質でしたね。例えば、飲み会の席で端に座っている人のビールがないと、すぐに行って次の飲み物を聞いたり、グラスの中身が空きそうだと思ったらすぐに注いだり、社内の飲み会でも粗相があったらいけないと指導されました。
オロゴンさん
うわー、そういうこと当たり前にありましたね(笑)。どこの銀行も同じなんですね。
きょうへいさん
私は意識高い系なのですが(笑)、入社前にイメージしていた「 いけている社員が海外のプロジェクトファイナンスで・・・ 」という感じでは全くありませんでした。営業担当を持たせてもらってからは、支店の加算器を叩く仕事から離れ、多少やりがいが増えましたが。
オロゴンさん
営業はどうでしたか? なかなか厳しいですよね。
きょうへいさん
はい。日本はオーバーバンクと言われているほど銀行が多く、金融緩和もしているので、お金を貸したい銀行はたくさんあります。財務がピカピカの会社ってお金を借りる必要がないんですが、僕らはそういう先にいって頭を下げて「 お金を借りてください 」とやっていました。
貸出し残高のノルマがあるんですよ。月末までに増やさないとダメで、資金需要のない会社に3日間だけ1,000万円を借りてもらったこともあります。誰の役にも立っていない仕事です。
儲かっている会社の社長を訪ねて、銀行側が儲かる投資信託を買ってもらったりするじゃないですか。それがうまくいくと支店で皆に拍手されたり、上司と握手したりするんです。不毛だなと思っていました。そういうギャップ、違和感は常にありましたね。
オロゴンさん
わかります。私も副支店長に「 おい、行くぞ!」と言われて二人で土下座してお金を数日間だけ借りてもらったことがあります(笑)。貸せるところに、「 とにかく借りてください 」とお願いしに行って、「 お前のところに用はない 」と追い払われた経験は、銀行員ならあるあるではないでしょうか。
当時の自分の融資営業の仕事はいらないものを売るのが仕事で、ウォーターサーバーとか百科事典の訪問販売と変わらないなと思っていましたね。そんなことばかりやっていたので、大家さんのコミュニティに入ってから、お金を借りたい人が世間にはこんなにいるんだなと驚きました。
編集後記
第二回は、明日の16時に公開予定です。