• 収益物件掲載募集
  • 不動産投資セミナー掲載募集
  • 収益物件 売却査定

7,936アクセス

死にかけてわかった自分が本当に望む生き方

大家対談/張田満×山岡清利さん_画像


今回の大家対談は、サラリーマンを早期退職して、好きな場所に移住したという共通点を持つ、山岡清利さんと張田満さんに、セミリタイアまでの道のり、移住を決めた理由などを語り合っていただきます。2回目の今回は、張田さんが「 死 」を意識したことで不動産投資を始め、自分の人生を自分の手に取り戻すまでのお話です。


■ 会社員時代は「 これは修行だ 」と自分に言い聞かせていた


張田さんは、どうしてサラリーマンの仕事を辞めたんだっけ?


高校を卒業して入った最初の会社はルート営業みたいな感じで、ぬるい仕事だったんです。スナックで上司のカラオケに合いの手を入れるような典型的なサラリーマン生活で、どこかで「 こんな人生は望んでいない 」という気持ちがありました。

そんな中で東京へ転勤になり、実力のある人より、ごますりがうまい人が出世する様子を見て、辞めなくちゃと思いました。



張田さんも東京で働いていたことがあったんだね。


はい。24才〜26才の3年間だけなんですが、自分には合いませんでした。札幌ではドライブが趣味だったのに、東京では駐車場代が払えなくて、車を持てない。札幌で当たり前だった生活が東京ではお金持ちじゃないとできなくて、「 ここには住めない 」と思いました。

でも、辞表を出す前に札幌に戻れたので、その後もしばらくその会社に勤めていました。あの頃は、「 今は修行だ 」と自分にいいきかせていました。



わかる。オレも警備会社にいた頃は「どんなにバカにされても、眠くて眠くて辛くても これは修行だ! 耐えろ! 」って自分に言い聞かせていたもん。その後、テレビ番組の制作会社に転職したのは、どうして?


物づくりに関わる仕事がしたかったのと、起業したばかりの会社だったので、いろいろな経験ができると考えて転職しました。人生で一番悩んだ決断だったように思います。

やりがいはありました。でも、テレビの仕事は終わりがなくて、ゴールのないマラソンを走っているようでした。物づくりの宿命かもしれませんが出張も多く、家に帰るのは、洗濯とシャワーのためだけという日々が続きました。当時は我慢の耐性がある人ほど優秀だと思っていたんです。



張田さんがよく利用するマレーシアの市場

■ 病気になったとき「 やっと休める 」と思った


その頃、優れたテレビ番組がとる賞をもらったんでしょう?


はい。かなり嬉しかったです。でも、体がついていかなくて、病気になったのが転機になりました。36才のときに夜中まで残業して、目が覚めたらベロベロに酔っ払ったみたいに歩けなくなったんですよ。

僕が5才のときに父親が「 頭が痛い 」と言って、次の日に亡くなりました。それが35才だったので、「 俺はもうすぐ死ぬんだ 」と本気で覚悟しました。CTスキャンをとって「 異常ありません 」と言われた時は信じられなくて、「 もう一回やってください 」とお願いしたくらいです。結局、メニエール病でした。



ストレスだったんだろうね。


そうだと思います。車の運転も編集もできないので、仕事を休むしかありませんでした。そのとき、「 やっと休める 」と思ったんですよね。

そこで自分が本当はこの仕事に限界を感じていることに気付きました。それまでは自分も若い人に「 弱音を吐くな 」とか言っている方だったのに、おかしいですよね。



相当たまっていたんだろうね。


はい。でも、その時まで自分が我慢しているという自覚さえなかったです。ただ、そんなことがあっても会社を辞めるとはいえず、まだ仕事を続けていました。

そうしたら1年後くらいにハイエースで崖から落ちて、また死にかけたんです。雪道をスリップして、ゴロゴロと回転して、車が廃車になるような事故でした。



ケガはなかったの?


奇跡的に全員、大きなケガはありませんでした。でも、そこでも「 死 」を強く意識しました。その後で東日本大震災がおきて、日本が大変なことになっているのに、いつもと同じようにルーティンの仕事をしている自分に猛烈に違和感を覚えたんです。

その後、ようやく「 辞める 」と会社に意思表示することができました。そこから退社するまでが一番つらかったです。みんな大変なのに、「 辞めるの? 」って質問されたりすると、自分だけ裏切り者になったような気持ちでした。


■ サラリーマン時代は他人に人生をコントロールされていた


それはきついね。その時には不動産投資を始めていたんだよね。


はい。交通事故に遭ったときに、「 もし、あのとき死んでいたら家族に何も残せなかったな 」と思い、アパート経営を始めました。お金を使うヒマがまったくなかったので現金があったのと、少しの頭金で買えてあまりお金が減らなかったことから、短期間で物件を増やせました。


行動が早いよね。その頃は会うたびに、「 え?またアパート買ったの? 」「 え?もう会社辞めたの? 」っていう感じだったもん。


ただでさえ少ない睡眠時間を削って、必死で物件を見て回りましたから( 笑 )。結局、1棟目を買って2年未満で、キャッシュフローが1,000万円を超える見込みが立ち、セミリタイアしました。

今でもサラリーマン時代の夢をよく見ます。目が覚めると、「 もう出社しなくていいんだ! 」ってホッとするんです。もう何があっても会社員には戻りません。

サラリーマン時代は、他人に人生をコントロールされていたと気付いてしまったので、絶対に無理です。収入的にも、あんなに時間を拘束されるのに、あまりにも少ないですよね。



それは同感。自分も会社員時代に、尊敬する先輩の給与明細を見せてもらったら、手取り額が低くって、それも辞めるきっかけになった。タイムマシーンに乗って自分の5年後を見た感じでショックだったなあ。ああ、このまま先輩のようにすべてを会社に捧げ働き続けても、これしか稼げないんだぁって。


おかしいですよ。能力は関係ないんですから。あの頃は、どうして俺の給料はこんなに安いんだろうと思っていましたけど、今ならわかります。

給料って、会社や仕事に不満を持ちながらも、適度にストレスを解消できて、退職されないくらいの金額を「 逆算して決めた額 」なんだと思います。



歩合制の仕事ならまた別なんでしょうが、残業をしなければ給料を増やせないというサラリーマンって、やっぱり相当きつい仕事です。というか、システム自体がおかしいんですよ。


■ 会社を辞めても大丈夫と思ったキッカケ


最近も電通の問題がニュースになったけど、悲しすぎるよね。日本人は本当にまじめだと思う。


支配者と奴隷の関係は、支配者が悪いようにいわれますが、奴隷が全員逃げてしまえば成り立ちません。

兵隊役が苦にならない人、つらい思いをしないと給料がもらえないと思い込んでいる人は、自分の思考のとおり、ずっとつらい思いをしながら給料のために働くことになるのかもしれません。



張田さんは、辞めても大丈夫という決意ができたキッカケは何かあった?


不動産投資のセミナーに行くと、あまり勉強していない年配の方が多くて、ここならやっていけると感じました。

会社員時代にあんなに忙しい中でも物件を買えたんだから、会社を辞めたらもっといい物件を買えるだろうし、仕事のつもりで9時〜6時まで不動産のことをやれば、満室にするのも難しくないと思いました。



サラリーマンに向いている人っていると思う?


仕事が楽しければ、続ければいいと思います。実際、その会社にいなければできない仕事ってありますよね。例えば、仲間との共同作業や大きなプロジェクトなどにやりがいを感じるなら、辞める理由はないんじゃないですか。

僕は会社員すべて否定つもりは全くないんです。僕が言いたいのは、自分の本心を無視して我慢する必要はないということです。会社というひとつのピラミッドの上を目指すことだけが成功ではない。別のピラミッドもあるんだ、ということですよね。



編集後記
病気、交通事故、そして天災があってようやく辞表を提出できたという張田さんの言葉に、一つのルートを外れることに、日本人がいかに大きな「 壁 」を感じているかを実感しました。次回は、張田さんがマレーシアを移住先に選んだ理由や、移住への家族の反応についてお伝えします。お楽しみに。


○ 全4回のテーマ
第1回【 僕らにも泥人形のように働いた会社員時代があった 】
第2回【 死にかけてわかった自分が本当に望む生き方 】
第3回【 アイディアは移動の距離に比例する。妻と子供の反応】
最終回【 自分の頭で考え、行動することが「自由」への道を拓く】


健美家サイト会員登録で最新コラムやニュースをチェック!

健美家不動産投資コラム

プロフィール

■ 山岡清利さん

山岡清利

□1971年、栃木生まれ、福島育ち
□4人家族(妻&2人の男の子)、札幌在住
ブログ:報告ネット業務日誌

□不動産賃貸業
□不動産管理状況巡回報告サービス業「報告ネット」代表

■ 経歴

□1990年
地元の高校を卒業後、東京の警備会社に就職

□1997年
警備会社を辞めて、WEB製作運営会社を起業

□2002年
北海道への移住を計画、移住後の収入源確保のために不動産投資の勉強を始める

長嶋修さんが主催する不動産投資の勉強会「 エクシード 」に入会

札幌市西区 新築木造AP 6戸

□2003年
札幌市中央区 新築木造AP 8戸

□2004年
札幌市豊平区 中古区分 1戸

□2005年
札幌市西区 新築木造AP 8戸

□2006年
札幌市中央区 中古木造AP 8戸+テナント

□2007年
当初の計画では5棟購入し札幌へ移住する予定だったが、市場の変化で遠方からの管理が難しくなり会社を売却、札幌に移住する。

移住後は大家業のかたわら、不動産管理状況巡回報告サービス業「報告ネット」の代表として、札幌に物件を持つ本州の大家さんたち等をサポートしている。


■ 張田満さん

horiuchisan

□1972年、北海道生まれ
□5人家族(妻&三姉妹)、マレーシア在住

☆不動産投資を始めたきっかけは大家列伝に詳しく載っています
大家列伝【前編】
大家列伝【後編】

□不動産賃貸業
□映像クリエーター

■ 経歴

□1990年
地元の高校を卒業後、メーカーに営業職として入社

転勤で東京勤務になった初日、駅の人出を見て「今日は祭りか」と思ったら普通の日でショックを受ける。
田舎に比べて生活自体にお金がかかる東京暮らしに疲れていたため、数年で再び札幌勤務となりホッとする。

□2002年(30才)
映像制作会社に転職、アシスタントディレクターとなる

□2007年
結婚

□2008年
7月:メニエール病になるが、約3週間でまあまあ回復  
8月:北海道の人気番組のディレクターとなる

□2009年
交通事故に遭ったのを機に不動産投資の勉強を開始

□2010年(37才)
8月:1棟目のアパート購入(2LDK×4)


□2011年
8月:2棟目のアパート購入(1LDK×1、2LDK×2、3LDK×2、テナント×1)


9月:3棟目のアパート購入(1K×10)


□2012年(39才)
2月:4棟目のアパート購入(1DK×8)
5月:5棟目の戸建て購入(6LDK)
6月:映像制作会社を退社
8月:自分の会社を立ち上げる
9月:6棟目の戸建て 購入(4LDK)

□2013年(40才)
2月:7棟目のアパート購入(2LDK×6)
7月:8棟目のアパート購入(2LDK×4)

□2014年(41才)
マレーシアへ移住

新築RC物件・海外コンドテル・海外コンドミニアムなど含め、計100室を所有する

ページの
トップへ