9月の末に、毎日新聞社から『 なぜ数学が得意な人がエグゼクティブになるのか 』という本を出した。
昨年の3月に京都大学経済研究所の西村和雄特任教授が調査報告書として、理系出身者と文系出身者の年収比較を発表した。詳しいことは触れないが、結論的にいうと、理系出身者のほうが文系出身者の年収を上回り、生涯にわたって増加傾向にあるということだった。
実は、約10年前に、大阪大学の卒業生について、文系と理系の卒業生の年収の比較をしたのだが、このときは20歳代では、理系のほうが高くなり、30歳代以降で逆転が起こるという結果だった。
ただ、これと同じ時期に行われた有名私立大学の文系学部の卒業生に対する、受験時に数学を選択したか否かと現在の年収のアンケート調査の結果では、数学を受験した人の方がそうでない人よりも年収が51万円多かったのだ。
つまり、文系のほうが収入が多かった時代でも、同じ文系の中では数学ができる人、受験生時代に数学を一生懸命勉強した人のほうが、収入が多かったということだ。そして、今回の調査では、常に理系の方が収入が高いということになった。
要するに、数学は社会に出て、役に立たないと思われがちだが、実は数学ができる人のほうが仕事ができるということなのだろう。
この本では、なぜ数学ができる人のほうが、社会で成功できるのかということと、その能力を後から( たとえば社会人になってから )身につけることができるのかを考えてみた。今回のコラムではそのエッセンスに触れてみたい。
数学をちゃんとやってきた人とそうでない人の差として私が強く思うことの一つは、【 確率論と数学的根拠を求める習慣 】だ。
たとえば文系人間は、ニュースやワイドショーに出たことをうのみにする傾向がある。
凶悪な少年犯罪が起こるたびに大ニュースになるが、実際の統計数字ではむしろ少年犯罪は年々減っている。数字の根拠を求める姿勢があれば、感情的に子どもの教育を変えろなどという話にはならない。
それと同じように、たとえば若者の間で、○○が流行っているというニュースが流れたとしても、それにすぐに飛びついていては、「 仕事のできない奴 」の烙印を貼られることになる。
ならばどうすればいいのか? たとえば、原宿とか、地方都市の若者の集まる場所にいって、カウンターでももってその数を数えてみて、本当に流行っているのか調べてみることだ。ニュースよりデータのほうをあてにするようなマインドがないと、仕事世界で生き抜いていくのは困難だろう。
次に、【 場合わけの発想 】ができるかどうかということだ。
世の中がデフレ傾向のときと、インフレ傾向のときで売れ筋や売れるものが違うのは当然のことだ。同じ気温が23度というのでも、冬なら暖かく感じるし、夏なら寒く感じる。だから、それに応じた売れ筋を考えないといけない。
ワンパターンの考え方をやめて、場合分けを習慣づけることが大切な対応策だ。
【 条件と比較 】という考え方も大切だ。
よく女性に恋人にするなら慶應卒と東大卒でどちらがいいという質問がされる。
そういうときに、女性の側はイメージで慶應と答えてしまうが、慶応卒と東大卒の比較というのは、ルックスも収入も同じだったときに、東大卒と慶応卒のどちらがいいのかで比較しないと比較したことにならない。条件をそろえないと比較にならないのだ。
その上、調べてみるとイメージとは逆に親の平均年収は東大卒のほうが多いなどということさえある。
条件をそろえずに比較をするとビジネスの世界では大損をしかねない。
比較をするときは、きちんと条件を揃えるということもポイントとして肝に銘じたい。
数学を学生時代にしっかりやってこなかったと嘆くより、今からでも数学的な発想の習慣づけができれば、資産を増やす人になれるはずだ。