●入居の際の必要書類がすべて偽造だったとは
賃貸物件を借りる際、入居者全員の住民票や連帯保証人の印鑑証明書等を求められることが多いだろう。提出されたものが原本であれば、誰がそれを偽造と疑うだろうか。
ところが昨今、透かしの入った偽造が出回っている。
賃貸トラブルの事件を受託すると、まず現状を把握することから始める。賃貸借契約書や入居申込書、添付書類の住民票や連帯保証人の印鑑証明書等、入居者の、あるだけの情報を得たい。
そしてこの中から、解決の糸口を見つけていくのだ。まず相手を把握することが最重要。情報を得て、そしてできるものは情報のアップデートをする。
公的な書類があれば、少なくともその発行当時には記載の住所に登録があったということであり、そこを取っ掛かりとして最新の情報を入手できる。
逆に公的な書類がなければ、記載あるものは偽名かもしれないし、嘘の情報であることも少なくない。そうなると相手方の把握に、余計な時間を費やさねばならないこともある。
さて、今回の事件ではすべての書類が整っていた。公的な書類から運転免許証のコピーもあった。所得証明は確定申告の税務署のハンコが押された控えが提出されていた。ここまで揃っていると相手の背景まで見えてくるので、早期解決につながりやすい。
さっそく最新の住民票を取得してみた。ところが「該当なし」。そんなはずはない。転出して5年以上経つと住民票は廃棄処分されるが、そこまでの年月も経っていない。
仕方がないので翌日に別の役所で、戸籍の附票を請求してみた。やはり「該当なし」。これはいったい……。
日本の戸籍制度や住民登録制度は、とてもよくできている。情報が途切れることなく、一定の期間内では必ず繋がりをたどっていくことができる。
つまり行方不明と思っていた人物でも、探していく取っ掛かりはあるのだ。その中で突きつけられた現実は、「該当なし」。請求用紙の記載ミスでなければ、目の前にある契約当時の書類が偽造である可能性が高まった。
●透かしの技術は超一流
手元にある住民票を見てみた。当然にして透かしが入っている。色の濃淡も遜色ない。手触りだって悪くない。「複写無効」の文字も浮き上がっていないので、カラーコピーしたとも思えない。
事務所に同じ役所が発行した住民票があったので、比べてみた。確かに触ってみると、実物とは若干紙質が違うようにも感じる。ただ「感じる」程度で、明らか「違う!」とは断言できない。
並べて見比べて見ると、かすかに罫線のズレがある。使われている文字のフォントや字体も、違って見える部分もある。
私たち司法書士は一般の方々と比較すると、格段に住民票や印鑑証明書を手にすることが多い職業だ。不動産の登記や会社の登記、日常的に公的書類と向き合っている。そのはずの筆者がみても、未だ「偽造」とは信じがたいほどの出来栄えであった。
あの書類が不動産取引の現場に持ち込まれたら、疑わずに登記してしまっていたはずだ。それくらい超一流の出来栄えだった。
●なぜ偽造書類が出回るのか
結局この書類がすべて偽造だと確信できたのは、確定申告した税理士の先生からの証言だった。
所得証明として確定申告書の控えが提出されていた、その税理士の先生に連絡をしてみたのだ。事務所の電話番号は、HP通り正しく存在していた。姓は合っている。ただ下のお名前が違っていた。その先生曰く、この税務申告をした覚えはないし、このエリアでこのフルネームの税理士登録者はいないとのこと。
おそらく偽造者たちはHPから一般的な姓の税理士を選択し、偽造書類に下の名前だけ少し変えたのだろう。
士業は親子で営んでいる事務所が少なくない。書類に名前が出るのは代表だけで、事務所全体からすると同じ姓の関係者が数名いても業界的にはおかしくない。実に巧妙な手口だった。
彼らは賃貸物件を借りるためだけに、このような手の込んだ偽造をしたのではない。振り込め詐欺等、大きな犯罪のための偽造である。
ここ数年、筆者は同じような書類を何度も目にしてきた。そのすべてが、裏に犯罪が見え隠れしていた。ということは家主側は、自身の物件が犯罪者に狙われないような工夫をしていかねばならないということだ。
そして悲しい時代でもあるが、「疑う」という眼を養うことも必要であろう。
太田垣章子(おおたがき あやこ)
【プロフィール】
司法書士・章(あや)司法書士事務所代表
平成14年から主に家主側の訴訟代理人として、悪質賃借人の追い出しを延2000件以上解決してきた賃貸トラブルのエキスパート。徹底した現場主義で、早期解決のためにトラブルある物件には必ず足を運んできた。現場で鍛えられた着眼点から、賃貸トラブルの解決を導く救世主でもある。著書に「賃貸トラブルを防ぐ・解決する安心ガイド」(日本実業出版社)がある。