港区では、山手線の内側としては最大級の住戸プロジェクトが進行中である。現在、土音高く高層マンションの躯体がどんどん積み上がっている。
場所は白金1丁目。ここの約1.7haの土地に、45階と19階の中高層マンション(住戸数1,247戸)と、4階建の工場・病院棟が建設される。併せてその敷地内には、近隣住民も利用できる500m2の公園、800m2の広場も配置される。2年後の2023年4月からの入居の予定である。
実は港区では、この現場からほんの100mの場所にも、2006年に終えた再開発地区がある。こちらは2.5haの土地。42階のマンション625戸、26階建のオフィス棟から構成される。当時、地下鉄白金高輪駅の開業に合わせた駅直結の立地として整備された。
白金地区は、白金1丁目~6丁目と白金台1丁目~5丁目のエリアで、周囲は麻布、広尾、高輪、三田と、他区になるが恵比寿、上大崎、東五反田に囲まれている。
以前、「シロガネーゼ」という言葉がマスコミでしばしば取り上げられたことがある。「白金に住んで、地元でショッピングや買い物を楽しむ、上品な雰囲気の女性」がイメージされた。流行ったのはもう20年以上前にもなるが、そのイメージはまだ一般的に残っているように思われる。
実際、このあたりの道路では、ベンツやBMW、LEXUSといったエンブレムの車は、ごく当たり前のように見かけることができる。そのような種類の車で子供の送り迎えをしている母親も、確かに居られる。最近は、ボルシェやマセラティが目立って増えており、ときどき、フェラーリの異音も聞く。
このエリアには、ほぼ中央の4.9haの広さに初等科から高等科までの一貫校の聖心女子学院。西側の「プラチナ通り」と名づけられた国道沿いの大名の下屋敷があった場所に国立自然教育園。
ここは、広さ20haに残る自然そのままの姿が憩いの場となっている。また、その教育園の抱かれるように立地する東京都庭園美術館は旧皇族の建物である。
結構式場として「四方八方どこを見ても美しい」というのが由来の八芳園は、もともと天下のご意見番、旗本大久保彦左衛門の屋敷のあった場所。
その後、薩摩藩下屋敷、明治になって渋沢栄一の従兄などの実業家の手に渡った変遷がある日本庭園が美しい場所である。また近接してシェラトン都ホテルと明治学院大学がある。
白金(シロカネ)というおめでたい地名は昔からあって、この地を開いた長者が大量の銀を所有していたことに由来する。江戸時代は江戸の街の西の辺境であったことから、大名の下屋敷に寺社と村の入会地、畑が点在するエリアであった。大名所有の土地は明治になると実業家や政治家などが好んで住んだが、これらの土地はマンションなどに変わっていった。
しかし白金地区をよく見れば、洗練された雰囲気の場所だけではない。北側の縁を流れる古川沿いエリアは、大正期には金属加工や機械製造の小規模の工場が多く立ち並び、工員の方々が多く住んでいた。
高台と低地で住む層が異なるのは、今ではそれほどではないが、例えば、岡本太郎の母親、小説家岡本かの子の戦前の作「金魚繚乱」という小説は、白金を舞台として、崖下に住む金魚屋の息子が崖上に住む令嬢との間の話は当時の不条理な心理的な格差を描いている。
戦災を免れ残った低地側の白金1丁目、3丁目、5丁目のエリアもすっかり住宅地に飲み込まれてしまい、ポツポツと工場が残るだけになっている。そのような経緯から古い戸建てが多く残っていて、冒頭のような大きな再開発も行われるのである。
ところが、このエリアにここ数年、変化が見られるようになった。古い建物をリノベーションして、個性を出した特色のある飲食店等が相次いで開業しているのである。
白金5丁目の北里研究所病院が立地する北里通りは、銭湯もいまだ現役であるが、白金に抱くハイソとは別の感覚のカフェが見受けられるようになった。さらに、冒頭の再開発中の区域の白金1丁目、3丁目でも、スイーツやレストランなどが立地するようになって、わざわざ訪れる人が増えた。
白金のメイン通りである銀杏並木のプラチナ通りは、変わらずお洒落なカフェ、レストラン、ショップが並ぶものの、大きな変化があまり感じられないのと対照的である。
相対的に安い家賃のエリアで、古いものを生かして商いをする。こうした若い人達は、地元との関係も良好のように見受ける。
例えば、北里研究所病院向かいにある人気のハンバーガーショップでは、新型コロナの医療現場で戦う病院へ差し入れをした。北里研究所病院は、地元の商店街と加盟飲食店での「ロカボ・メニュー」の考案などで協力関係にある。
ここ数年、ハロウインの日には、子供達が仮装して街を歩き回っている姿を見かけるようになったのは、7つの商店街が協働して、協力店でお菓子がもらえるからだ。
2018年には1ヶ月限定で「白金バル」と称した35店舗が参加の街バルもあり、敷居が高いと思われがちなレストランも覗けた。
庶民的で親しみやすい商店街は、もともと祭りにも熱心で、規模は決して大きくないものの、それでも5~6万人を集める夏祭りは、年々人出が増しているように思える。
残念ながら長引く新型コロナの自粛で一部では閉店も見受けられるが、積極的にこのエリアで物件を求めているところもあるという。
セレブの白金ではなく、別のイメージの白金が胎動しているモーメントを確認できる。
健美家編集部(協力:多摩北部)