20年以上にわたりベイエリアの発展に貢献
跡地には大規模アリーナを整備
「お台場」は、東京港埋立第13号地に属する東京都港区台場、品川区東八潮、江東区青海のうち青海南ふ頭公園の北からなるエリア。その歴史は古く、江戸時代末期に日本に来航したペリー艦隊の脅威に備え、品川沖に海上砲台を建設したことに端を発する。当時は「品川台場(品海砲台)」と呼ばれたが、幕府に敬意を払い台場に「御」をつけ「御台場」と称したことが現在の名称の由来になっている。
大正・昭和時代に入ると台場自体は一部が撤去されたり、埋立地に埋没して消滅していったが、1979年に東京港の海底を掘削した際の残土により13号埋立地が完成すると、そのうちの北部は幕府が築いた台場にちなみ、お台場と呼ばれるように。平成に入ると東京都は都心の混雑を緩和するため東京臨海副都心として臨海部の開発を始め、1993年にはレインボーブリッジが開通し、世界都市博覧会の開催予定により企業進出が誘致された。
その後、世界都市博覧会は中止になるも、95年にはゆりかもめの新橋駅―有明駅間が開業。翌年には港区台場のアドレスが誕生し、97年にはフジテレビが新宿区河田町より移転し、『踊る大捜査線』のロケ地にもなったことから、お台場の知名度は急激に上昇した。2002年にはりんかい線が全線開通し、オフィスや商業施設、マンションなども続々と建てられ、いまでは都内有数のビジネス・レジャースポットとして栄えている。
そんな同エリアには、「デックス東京ビーチ」や「アクアシティお台場」「ダイバーシティ東京」など複数の商業施設が建ち並ぶが、1999年に開業した「パレットタウン」もその一つ。中世ヨーロッパの雰囲気が漂う「VenusFort」をはじめ、モビリティ体験型のテーマパーク「MEGA WEB」、エリアのランドマーク的存在の「パレットタウン大観覧車」、ライブハウスの「Zepp Tokyo」など多様な施設が集積し、18年には森ビルとチームラボが共同で運営する「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM:EPSON teamLab Borderless」も加わり、これまでに国内外から延べ約4億人が来場する観光スポットに成長していた。
そんな、不動の人気を誇るパレットタウンだが、各施設の営業が順次終了すると告げられたのは今年7月のこと。以下のニュースリリースが公表されるとともに、今年12月から来年8月末にかけて、各施設の営業が終了することが明らかになった。
パレットタウンは開催中止になった世界都市博覧会の用地に、暫定的にオープンした施設だ。1990年代当時はバブル崩壊による不況や交通の便の悪さから開催予定地の売却先が見つからず、苦肉の策として都が10年間の期限付きで平米辺り月額830円~850円という破格の賃貸料で貸し出したことで森ビルや三井物産などが施設の開発に乗り出し、パレットタウンは誕生した経緯がある。本来は2010年6月までに施設全体を閉鎖し、都に土地を返還することになっていた。
そうしたなか、08年に都はパレットタウン用地を森ビルとトヨタ自動車に814億円で売却すると発表し、両社の事業計画によると地上23階・地下2階の建物が建設され、オフィスや商業施設、コンベンション・ホテル一体型の施設や、自動車をテーマとして参加体験型の展示施設、新型観覧車などが設置され、13年に開業する予定だった。
ところが、リーマンショックによる景気の低迷などから計画は延期され、既存施設の営業も延長されてきたが、今年3月末にトヨタグループの東和不動産が大型複合アリーナの建設計画を発表し、6月末にはトヨタ自動車・東和不動産・森ビル・東京炉の4者が協議を進め、25年を目途にコンベンション機能を含むアリーナが竣工し、ホテルやオフィス、商業・エンターテインメント施設なども入る複合施設が誕生することがわかった。
東京都はお台場エリアを含む臨海副都心の開発に力を入れていて、昨年には東京国際クルーズターミナルや有明ガーデンの一部が開業。24年にはテレビ朝日による多目的ホールなどからによる複合施設、25年にはコナミホールディングスなどによる事務所、スタジオ、ショップなどからなる複合施設も開業する予定だ。パレットタウン跡地の再開発もその一環であり、これらにより、エリア全体の付加価値は高まり、近隣のマンションやりんかい線沿線の住環境に影響を与えるかもしれない。
健美家編集部(協力:
(おしょうだにしげはる))健美家編集部(協力:
(おしょうだにしげはる))