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東京メトロ溜池山王駅・六本木一丁目駅近接、赤坂ツインタワー跡地の「(仮称)赤坂二丁目プロジェクト」で「3A1R」の注目度さらにアップ!

都市計画・再開発(地域情報)/東京 ニュース

2021/12/15 配信

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赤坂ツインタワーが18階建て、高さ66.35mだったのに対して、「(仮称)赤坂二丁目プロジェクト」では43階建て、高さ約210mの高層ビルが出現する(出典:森トラスト)

1983年に誕生し、2015年に老朽化に伴って解体された高層ビルの赤坂ツインタワー。運営していた森トラストは、NTT都市開発と共同で、跡地を中心としたエリアに「(仮称)赤坂二丁目プロジェクト」を進めている。

約5000坪の敷地に建つのは、地上43階、地下3階、高さ約210m、延べ床面積約220,000㎡の複合ビル。2024年8月に開業する一期工事と、2025年10月にすべてが完成する二期工事に分かれている。

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計画地は溜池山王駅から徒歩数分のところ。周囲には高層ビルが多く、赤坂の中でもオフィス街のイメージが強い六本木通り沿いになる(出典:森トラスト)

5~36階を占める先進的なオフィスが主体だが、地上1~3階は商業施設や飲食店、日本文化の展示施設、診療所が入り、38~43階はホテルとサービスアパートメントになる。実は計画地には既存ビルのNTT赤坂営業所があり、このビルの壁面リニューアルも含めたプロジェクトになっている。

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赤坂ツインタワーと同様にその多くがオフィスとして利用。38~43階にどんなホテルが誘致されるのかが注目されている(出典:森トラスト)

もともと赤坂二丁目付近は東京メトロの銀座線・南北線の溜池山王駅に近く、訪日外国人が多数訪れるエリア。赤坂氷川神社や大名屋敷跡など、江戸文化を今に伝える名所も点在している。コロナ禍を経て状況は変わったものの、ニューノーマルのその先を見据えた再開発と位置付けられている。

日本の歴史や文化を発信する施設や
ホテルなどで国際競争力の強化を目指す

本プロジェクトは東京の都市再生への貢献を目的とし、「国際競争力を高める文化発信・観光支援機能の導入」や「歩行者ネットワークの強化と緑地の推進・防災性の向上」を特徴としている。

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六本木通りから見た計画地。左に見える建物がNTT赤坂営業所で、正面のタワーマンションは赤坂タワーレジデンス トップオブザヒル、右に写るビルは衆議院赤坂議員宿舎
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ATT新館側から見た計画地。溜池山王駅からは地下歩行者通路が整備される予定。左に見える建物がNTT赤坂営業所

前者では、集積する外国人ニーズを満たす歴史・文化発信施設の整備、外国人の受け皿となる滞在施設の整備と観光情報・移動手段の提供などを行う。後者では、重層的な歩行者通路の整備と広域的な電線類の地中化による歩行者ネットワークの強化、地形を活かした大規模緑地の整備(約5,000㎡)、環境負荷低減の取り組みと防災対応力の強化で実現させる予定だ。

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溜池山王の高層ビルから六本木方面を見たところ。少しわかりにくいが、中央付近に小さく見えるクレーン車があるところが計画地

具体的に歴史・文化発信施設としては、「(仮称)江戸ビジターセンター」が誕生。イベントが開催できる約500㎡のホールや約1200㎡のミュージアムが整備されるほか、赤坂周辺の地域資源である江戸型山車を修復し展示するスペースができる。さらに、少し離れた赤坂氷川神社内にも山車展示スペースが整備され、赤坂エリア全体で山車のPRが行われる計画が立てられている。

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大宮の氷川神社から分祀され、951年に創建された赤坂氷川神社。赤坂の総鎮守として、街を守り続けてきた。都心とは思えないほど緑に恵まれている

青山、六本木、永田町に隣接し
さまざまな顔を持つ高級住宅街

一口に赤坂といっても、住所表記は一丁目から九丁目まで広範囲に及ぶ。大まかに表現すると青山通り(国道246号)、外堀通り、六本木通り、外苑東通りで囲まれたエリアで、アメリカ大使館のある一丁目だけが飛び出した格好だ。坂が多いことが特徴で、外堀通りなどの大きな通りを谷として台地が広がる。

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永田町方面から赤坂見附交差点を眺めたところ。真っすぐ進むと青山へ、左に進むと溜池山王へ、右に進むと紀尾井町にたどり着く

一般的に赤坂といえば赤坂駅、赤坂見附駅周辺を指すことが多いため、繁華街やオフィス街のイメージが強い。しかし、飲食店やビルが集まっているのはほとんどが谷地や大通り沿いで、実は台地の上には戸建住宅やマンションが立ち並ぶ。場所によって印象がガラリと変わるのが赤坂で、3A1R(青山、麻布、赤坂、六本木)の一角をなす高級住宅地なのである。

数々の歴史の表舞台に登場し
さらに成熟していく注目の街

1603年に徳川家康が江戸幕府を開くと、赤坂は江戸城の西に広がる要衝となる。台地には大名や旗本の屋敷が建ち並ぶ大名屋敷として発展した。明治に入ると華族や政財界人が住む街へ変貌を遂げ、さらに旧日本陸軍の施設が集まったことで赤坂は軍人の街というイメージを強くしていった。溜池付近に誕生した料理屋が花柳界として発展していくのもこの頃からだ。

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太田道灌が江戸城の守護神として信仰した山王日枝神社。境内までエスカレーターで行くことができる神社としても知られる

昭和に勃発した第二次世界大戦では空襲の標的となり、焼け野原になった近衛歩兵第3連隊の駐屯地跡に誕生したのが現在のTBS放送センターである。花柳界も息を吹き返し、永田町の隣町だった赤坂は、政治家が利用する高級料亭のある街としても名を馳せるようになる。

そして、昭和の高度成長期には付近に欧米諸国の大使館が多かったことからナイトクラブが繁栄し、映画スターや芸能人、外国人が集まる繁華街として隆盛を極めた。国民的英雄だったプロレスラーの力道山はこの地に住み、ナイトクラブでのいさかいが原因で命を落とした。

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赤坂のシンボルともいえるTBS放送センター。現在の建物は1994年に誕生し、TBSテレビとTBSラジオの本社とスタジオがある
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外堀通りを赤坂見附駅側から溜池山王駅方面を見たところ。外堀通りの西側に、飲食店が集まる一ツ木通りなどの商店街がある

その後、1980年代のバブル崩壊によって料亭は激減。現在はオフィス街や飲食店を中心とした歓楽街として認知されている。数々の歴史を払拭するように再開発も行われ、2008年にはTBSが自社の敷地を再開発して赤坂駅直結の赤坂サカスをオープン。オフィスビルだけでなく、シアターやライブハウス、イベント会場、集合住宅などが整備され、新しい赤坂のイメージを決定付けた。

住宅街としての赤坂に光を当て
3A1Rの価値をさらに押し上げる

これまで華やかな歴史に彩られてきた街なだけに、赤坂に住むのはイメージしにくいが、実は生活に便利な店舗は充実している。赤坂見附の駅ビルには家電量販店があり、近くの一ツ木通りやみすじ通りには飲食店だけでなくさまざまな店舗が軒を連ねる。赤坂サカス内の高層ビル、赤坂Bizタワーには高級スーパーもそろっている。

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溜池山王の高層ビルから赤坂方面を見たところ。右手に写る大きなビルが赤坂Bizタワーで、左端に写る高層ビルは東京ミッドタウン

それでいて、江戸幕府のお膝元として発展した赤坂とその周辺には、赤坂氷川神社や赤坂不動尊、山王日枝神社、豊川稲荷東京別院など神社や寺が多く、閑静な環境が守られている。特に台地の上の住宅街は車どころか人通りが少ないため、港区の都心とは思えないほど静かな時間が流れる。

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台地の上は戸建住宅も多い。「R」の文字が描かれた建物は、1963年にプロレスラーの力道山が実業家として建てた高級マンション
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山王日枝神社から赤坂方面を見たところ。奥にTBS放送センターが建っているのが見える。現在は繁華街よりもオフィス街としてのイメージが強い

「(仮称)赤坂二丁目プロジェクト」が完成し国際競争力が高まれば、赤坂のイメージはさらに変わっていくことが予想される。そして、住宅街としても注目されるようになり、街全体が活性化されることは言うまでもないだろう。

健美家編集部

※ 記事の内容は執筆時点での情報を基にしています。投資等のご判断は各個人の責任でお願いします。

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