2022年4月、以前から再開発の噂が取り沙汰されていたJR山手線と都電荒川線(東京さくらトラム。駅名は大塚駅前停留場)が交差する大塚駅南口地区の再開発準備組合が設立された。
2005年以降変化してきた大塚駅周辺
大塚駅周辺ではこの10年ほどで駅前が激変。注目を集めている。元々はデパートや映画館、花街などのあった、隣駅池袋よりも栄えていた街だが、戦後、池袋が区政、商業の中心となって繁栄した一方で認知度は大きく下落。存在感のない駅というのが多くの人の印象だったのではなかろうか。
だが、2005年以降、駅周辺は変貌を遂げてきた。同年には駅のバリアフリー化工事がスタート、2009年には南口、北口それぞれの駅舎解体が始まり、同年に南北の自由通路が開通し、高低差があって南北の回遊性に乏しかった駅周辺が一気に便利になった。
2013年には駅南口に駅ビル「JR大塚南口ビル」が竣工、2017年に南口駅前広場「TRAMパル大塚」が誕生したことで南口の風景が変わった。駅ビルアトレができたことで人が集まるようになり、駅前広場では各種のイベントも行われている。
星野リゾートが大塚に!
さらに変化を広く印象づけたのは2018年に北口側に星野リゾート初の都心型ホテル「OMO5東京大塚」がオープンしたこと。あの星野リゾートがなぜ大塚に出したのか、多数のメディアが大塚を取り上げた。
さらに2021年3月には北口駅前広場がイロノワヒロバ(ironowa hiro ba)として生まれ変わり、駅全体のイメージが変った。雑然とした駅前はまるで広場のようにすっきり、センスの良い空間になっているのである。
2018年10月には駅から見えるほどの場所に東京大塚のれん街という、古い民家をリノベーションして作った飲食店群も誕生。隣接する駐車場を利用してイベントも開催されるようになっている。それによってこれまでどちらかといえば渋い居酒屋、そこに集まる年代高めの人の街というイメージが変貌、若者、外国人も集まる街として捉えられるようになりつつもある。
駅前の商店街が再開発エリア
そうした変化の波を思えば、それが南口駅前に及ぶのは自然な流れかもしれない。大塚駅南口では戦後すぐに区画整理事業が行われており、現在の姿になったのは昭和55年頃のこと。それから40年以上が経ち、街は問題を抱えている。
再開発予定地はサンモール大塚という商店街を中心にした一画で、商店街自体は今も元気がある。魚屋、肉屋に和菓子店、飲食店とさまざまな業種が並び、大塚の飲食店の多くはここで仕入れをしてもいる。
だが、建物は老朽化が進んでおり、路地に接道していることから建替えが難しいビルも散見される。共同ビルで権利関係が輻輳、調整が難しいという話もあり、地権者、借地権者が入り交じる状態でもあるとか。当然、関わる人たちの高齢化も進んでいる。
そのため、令和に入ってからまちづくり協議会が開催されてきており、それが再開発準備組合に結実した。対象となっているのは豊島区南大塚三丁目52~55番。面積的には約0.7ヘクタールとそれほど広くはないが、駅前であり、かつ長らくこの街の飲食業を支えてきた、魅力あるエリアであることを考えると、インパクトは大きい。
一部、単独での建て替えを望む人がいる等、まだ権利者全員の足並みが揃っているわけではないため、多少時間はかかるかもしれないが、事態は動き始めた。準備組合では2024年度の都市計画決定を目指しており、今後の動向が気になるところである。
周辺には路地、古い建物も多数
ところで、現地に行って気になったことがある。予定地に隣接してこの地の総鎮守である天祖神社があるのだが、ここでは現在、鎮座700年事業として参集殿、本殿その他の改修が行われている。地域全体を変えるという計画であれば、天祖神社は地域の大きな存在。軌を一にしたほうが地域のためになろうかと思うが、それはないのだろうか。
また、大塚駅周辺は今回の再開発予定地以外にも路地、古い建物が残るエリアが多数点在している。地図を見ていただくと分かるが、古いアパートと思しき建物も多く、駅前の変化の影響は広くあり得そうである。
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健美家編集部(協力:
(なかがわひろこ))