この3月に8棟目のビルの借入が完済しました。購入から丁度10年です。思い起こせば10年前の2014年2月、この街に大雪が降り、アーケードが崩落してテレビや新聞でニュースが流れました。
その大雪の影響で、翌月に決済を控えたこのビルの目の前に、壊れたアーケードの屋根が落ちてきました。銀行の方から、「この物件を購入して、本当に大丈夫ですか?」と心配する連絡が入りました。
アーケードの改修に高崎市が何億円かの費用を負担することになっていたのですが、「こんなシャッター街に投資するのは無意味では?」という議論が巻き起こっていました。このアーケードはこのまま屋根なしで放置され、過疎化がより進むのではと懸念する人も多かったです。
この頃、不動産仲介業をしていた僕の会社に、高崎市から外注された関係者のチームの方々が、「お話を聞かせてほしい」とやってきました。僕がアーケードに不動産を所有しているオーナーでもあり、地元に詳しい不動産業者でもあったからだと思います。
チームの皆さんは、この場所を「昭和レトロな屋台村にする」という計画を持っていました。僕はこの案には反対でした。商店街の2階に住む経営者たちはほとんどが高齢で、1階の店舗はシャッターを下ろしています。あいている店舗は、夜の水商売のお店ばかり。
夜のアーケードには呼び込みのボーイさんやお姉さんが立っています。そんなところに屋台村を作っても、家族連れや女性たちが来るとは思えませんでした。すると、「夜の店の方には出て行ってもらうように交渉します」という返事でした。
僕は何を寝ぼけたことを言っているんだ、と思いました。いくら立ち退きの補償金を要求されるのかわかっているのか?何十年も前、何もなかったこの場所に目をつけて出店して、ハングリー精神で今前生き抜いてきた人たちを甘く見ない方がいいですよ、と。
関係者の人たちは僕に2回、話を聞きに来てくれました。僕は正直に、「反対です」と伝えました。そして必要なら、僕がメンバーに入ってもいい。高崎にずっといる人では見えないものがあるかもしれない、ということを付け加えました。
僕は大学進学と同時に高崎を出て、海外も含めた色々な人や街を見ていますし、自分のお金でアーケード周辺のビルや店舗を買っているので、一番危機感を持っている人間ともいえました。しかし、声はかかりませんでした。
結果的に、アーケードは「昭和レトロ」というコンセプトで工事が行われました。元の店の立ち退きにいくらかかったかはわかりません。しかし、にぎわいは戻らず、再生チームの人たちはいつの間にか姿を消しました。お店も今ではやっているのかいないのかわかりません。
そういえば、この近くに10年前に市に寄付されて今も稼働中の映画館があります。こちらも時折面白い企画をやっていますが、年配の方に向けたものが半分を占めています。ポテンシャルをフルに活かしているかと問われれば、疑問が残ります。
少なくとも僕に任せてくれればもっと面白くできるのに、と言いたくなってしまいます。
■8棟目のビルの借金を完済した僕は韓国に行くことにした
さて、僕の8棟目のビルはずっと同じテナントさんが入居しており、利回りも20%を維持しています。こう書くと順調のようですが、トラブルもあり、メンタルをかなり鍛えられました。鍛えられた証拠に、10年前の僕は些細なことで右往左往していたな、と令和6年の僕は思います。
エニウェイ、10年というのは振り返るとあっという間。どれだけ大変だと思っていても、10年後は必ず来ます。その時々で必死にやっていたら、10年が経ち、銀行の担保が外れました。完済はもう何回目か分かりませんが、いつも初めてのように嬉しいです。
8棟目のビルの借金完済の日、僕は韓国にいました。2019年10月、経済林のコラム(87話)で書いた中国以来の海外です。コロナがあったとはいえ、4年半も鎖国状態だったのは人生初。でも逆に言えば、自分と地元と徹底的に向き合えた貴重な4年半でした。
韓国に行ったのは、僕の中2からのアイドルである地元の大スター、布袋寅泰さんの初の韓国ライブに参加するためです。布袋さんのお父さんは韓国人であり、そこでライブを初めて行うということの意味を考えれば、「女房を質に入れてでも」見逃せないと思いました。
2012年12月、ロンドンに移住したばかりの布袋さんが開いたロンドンでのライブにも行きました。確か3棟目の油田ビルを購入した後で、金銭的に余裕も出てきた頃だったので、ここまで頑張ってきたご褒美に行ってもバチは当たらないだろうと思ったのです。
今回も、長かった修行明けにピッタリの開運行事だと、チケットを取ることにしました。しかし、チケット販売サイトはハングル文字で読めません。しかも座席数は400席ちょっと。翻訳などしてモタモタしていたら、チケットが売り切れてしまうかもしれません。
その時、ビルのテナントの韓国料理店のママさんの顔が思い浮かびました。最近は、毎週彼女の店の特製キムチを注文していて、かなり仲良くなっています。その彼女が2月中旬から1ヶ月ほど韓国に里帰りしていると言っていました。
彼女にチケットを取ってもらおう、と思いました。「チケット代は僕が全部出すので、よかったらご家族やお友達の分も予約してください。一緒にライブに行きましょう」というオファーも添えてお願いしてみると、快く引き受けてくださいました。
チケットの発売日。受付開始から20分経っても連絡がなく、諦めかけた頃に「チケットが無事に取れた」と連絡が来ました。こうして、僕たちは一緒にライブに行くことになったのです。これって素敵な関係だなって自分でも思います(笑)
今回の旅は、久しぶりに旅行代理店のHISにチケットとホテルの手配をお願いしました。いつもは自分で手配しますが、久しぶりの海外で忘れていることも多いので、安全策を取ったのです。
2時間半のフライトなので、飛行機はエコノミーでOK。ホテルは日本人が少なく、韓国のローカルの生活を楽しめるところをリクエストしました。
韓国に着くと、街中がハングルだらけで戸惑いました。こんなに英語の案内がない都市は初めてです。でも、僕は翻訳アプリを使いませんでした。久しぶりの不自由な感覚を全身で味わいました。
食事は韓国人のソウルフードだというカムジャタン(豚の背骨のスープ)にハマリました。1人前で10,000ウォン(1,100円)。韓国に6日滞在しましたが、毎日食べたくらい気に入りました。
そして、ライブは言うまでもなく最高でした。
■韓国はリノベしたカフェがアツイ
布袋さんのライブについて書きたいことはたくさんありますが、不動産のコラムなので、控えることにします(笑)。今回の韓国で一番書きたいことは、冒頭で書いた「古い商店街をどう再生するか」のヒントを韓国で得たことでした。
韓国ドラマを毎日見ている妻から事前に、「韓国はリノベしたカフェがアツイ」という重要な情報を得ていました。そこで、昔は工場や倉庫などが集まっていて、今はそれを再生したお店が人気だという聖水洞(ソンスドン)というエリアに狙いを定めました。
ここでは3時間ほど街歩きをしました。途中で疲れたらカフェに入り、外観から想像もつかないモダンな内装を観察したりしました。特に、経営者が同じだというギャラリーカフェの「大林倉庫」と「カフェおじいちゃん工場」という名前の2つのカフェに心を奪われました。
ユニークな店名は元の所有者への敬意を示したものだそうです。物件の名前については以前のコラム(76話)で書きましたが、このカフェオーナーの心意気と、そのお店をドラマの撮影で使われるほど注目される物件に再生した手腕は僕の次の目標となりました。
そしてもう疲れてきたので帰ろうかと思った時に、得意のシックスセンスが降りてきました。脳が「スタバへ行け」と命令してきたのです。韓国には日本以上にカフェがあり、たくさんのローカルチェーンもあります。
今回の滞在で行ける数は限られています。それなのに世界中にあるスタバだなんて…。それでも、自分の直感に従ってスマホで調べてみました。すると、面白そうなスタバを見つけました。ここからタクシーで20分程度です。
タクシーを降りると、住所は合っているはずなのに目当てのスタバが見つかりません。10分ほどグルグルと探し疲れた後で、乾物を売るアジョシ(おじさん)に聞いてみました。すると、タクシーを降りた場所に戻ることになりました。
なんと、わかりにくい看板と場所。階段を上りながら、なんだか僕の地元の古い再生された映画館に感じが似ているなと思いました。そして、劇場風のドアを開けて僕は飛びあがりました。こんなスタバは世界のどこにもないんじゃないか。
改めて調べてみると、オープンは2022年12月。「市場の中に30年放置されていた元映画館をスタバにした」と書いてありました。古い映画館を新しい映画館として再生するのではなく、カフェにしてしまうなんて!
自分の順番が来ると、壁に番号が映し出されます。15年ほど前にシアトルのスタバ1号店に行きましたが、全く様子が異なります。世界中で姿と形を変えながら自由に進化している様子に、大きな刺激をもらいました。
あまりに驚いたので、次の日の予定を全て変えて、もう一度ここに来てしまいました。本当は午前中にホテル近くの「韓国ナンバー1のスタバ」と紹介されていたお店に行ったのですが、世界中の大都市にあるラグジュアリーなコンセプトのスタバで、少し期待外れだったのです。
僕は、古い歴史と新しい現代が同居するような雰囲気に惹かれるようです。それで、予定を変更して、ノートとペンを持って、タクシー代を払って、また元映画館のスタバを訪れたのです。
カフェラテを飲みながら、僕は地元の大金を注ぎ込んだアーケードと古い映画館のことを何度も考えました。同じ現代に生きていて、韓国にできて日本にできないはずがありません。
久しぶりに全身が熱く燃え、次にやることも見えました。それにしても布袋さんのライブで韓国へ行ったのに、店舗のことばかり考えている自分は、どこへ行けば休めるのでしょうか・・・。