ロサンゼルスに行ってきました。キッカケは2月の加藤ひろゆきさんのコラムを読んで感想メールを送ったことです。すると夕方にご返信を頂き、「3月下旬にLAに行こうと思っている」とを告げられました。「お前はどうするんだ」というメッセージを感じました。
春休みは妻と子供とベトナムのハノイに父の散骨に行こうと思っていましたが、LAは若き日の加藤ひろゆきさんが挑戦をしてきた土地です。僕も若い時にシンガポールやアメリカで挑戦してきたので、その場所を久しぶりに訪れる瞬間がいかに尊いかわかっているつもりです。
その時に初めて思い出すことや話せないことがあるはず。その瞬間を目撃したいし、その場で話を聞きたい。全ての予定を変更して僕もLAへ行こうと決めました。父も散骨を遅らせてくれることを許してくれるだろうと思いました。
実はここ数年、アメリカに行こうと何度も思っていました。子供が学生のうちに家族4人でアメリカの田舎を車で2週間くらい旅したかったのです。コロナがなければ、2020年の夏休みに行こうと計画をしていました。そこから気づけば4年です。
中1と小3だった息子達は、高2と中1になっています。もうこれがラストチャンス。しかし、長男は「部活を休みたくない」ということで、結局家族3人で行くことになりました。僕にとっては11年ぶりのアメリカです。
時間がなかったこともあり、飛行機のチケットを取る時に何度かやり直すことになりました。結局、HISにキャンセル料15万円を払い、ANAにマイルと燃料サーチャージで25万ほど払いました。
20代の頃はエコノミーでしたが、今回はビジネスを取りました(ファーストクラスは確保できず)。旅の準備というのは、パズルのようです。もっと要領よくできたら良いのですが、今の僕にはなかなか簡単ではありません。
自宅から空港まではタクシーをチャーターしました。行きは羽田、帰りは成田で往復11万円かかります。3人でバスなら24,000円、新幹線のグリーン車なら48,000円ですが、トラブルの心配をしなくて済むと思えば安いものです。
フライトは深夜1時。1日の全てを終えてから乗れるので、効率的です。
■LAでのレンタカーとホテル
マレーシア時代、父が倒れて以降は毎月、日本と往復していました。日本とクアラルンプールの7時間のフライトもいつもビジネスクラスでした。ロスはそれより長い10時間、フルフラットにして寝ていただけなのであっという間でした。
レンタカーはハーツで予約していましたが、いつものことながら窓口に到着すると全く違うものを勧めてきます。今回はメルセデスの最新SUVでした。入口に展示してあると思っていたら、商品だったようです。
アメリカに来てドイツ車か…。僕はフォードやシボレーのような大きなアメ車に乗りたかったのに。でも、僕のレコードを全て売って妻に買ったベンツのサイズが大きいやつなので、こっちの方が妻は運転しやすいかもということで、まさかのベンツを借りました。
ホテルは加藤ひろゆきさんから、マリオットに長期滞在すると連絡が入っていました。かつての僕はアメリカで毎日その日に出会った人から新しい情報を得て、次の予定地を決めていたので、同じホテルに連泊したことはありません。(1枚でも多くのレコードを探すためには当然と思っていました)。
でも、今回は同じホテルに4連泊することに。せっかくなので、BONVOYプレミアムカードも作成。以前、SPGカードを持っていましたが、ペナン移住した時に解約してしまいました。今回の旅に間に合うかなと思っていたら、申し込んでから6日で到着しました。
■到着初夜(3月27日)
ホテルに22時ごろにチェックイン。加藤ひろゆきさんにはご挨拶だけして、本格的な行動は明日からと思っていたら、23時に会うことになり、そのまま深夜のドライブへ。「時間は平気でせうか?」とお気遣いいただいたのですが、こちらは嬉しいけれど、逆に平気でせうか?と思いました。
昔住んでいたアパートを案内してもらい、その近くのセブンイレブンで買い物。マクドナルドでアイスティーとホットコーヒーをドライブスルーで頼んで、レドンドビーチへ。アイスとホットを同時に頼むという僕の人生で経験したことのない組み合わせに驚きました。
富裕層にしかできない(?)発想と贅沢です。そして、それがすごく良かった。無糖のコーヒーを飲みながら、深夜の肌寒い海岸を上半身裸で走る白人男性を見て、ああアメリカはやっぱり自由でいいな、自分はかなり精神的に不自由になっていたなと思いました。
体が冷えてきたので会話を中断し、映画に出てくるようなアメリカンダイナーのノームスへ行き、ステーキを食べました。ここでも、アイスティーとホットコーヒー。結局、初日の夜は23時から3時半まで。ホテルに着いてメモを残そうと時計を見たらもう朝の4時です。
■2日目(3月28日)
睡眠1時間半で6時に起床。寝不足のはずなのに、高揚感が続いているのか気分の良い目覚め。明日から雨との予報で、昨晩到着したばかりですが、「今日のうちに」と妻と子供はディズニーランドへ行きたがりました。
レコード店時代、妻も何回も買付けに同行していたけれど、観光はゼロ。何度も「ディズニーランドに行きたい」と言う妻の要求を却下していました。今考えると狂気の沙汰ですが、当時はそんな時間があれば1枚でも多くのレコードを買いたかったのです。
僕はレコード店を突然やめたので、残ったのはリースの支払いと思い出だけでした。当時は、この「お金に換金できない体験」にお金を使った自分を何度も呪いました。その分のお金を100万円でも残しておけば、どんなに違っただろうと。
その頃は毎月お金が入るサラリーマンの友達を羨ましく思ったほどで、妻にも迷惑をかけました。そういう時代を乗り越えての今回のLAなので、加藤ひろゆきさんとの時間以外は、全て妻の希望通りにしようと決めていました。
ディズニーランドは、オレンジカウンティ(オレンジ郡)という地名の通り、かつてオレンジ畑があったところをディズニーが買い取ってテーマパークをつくったそうです。そういえば、僕が行っていたレコード・コンベンションの会場がこのすぐ近くにありました。
ディズニーランドの現在の入場料は1人3万円、駐車場は1台5千円。入場者数は1年で2,600万人なので1日あたり7万人で21億円、駐車台数は1台に4人として17,500台とすると1日8,750万円の売上。
これが最低限であり、他に飲食代やお土産グッズなどの売上は計り知れません。もちろん人件費や設備費があるにしても、オレンジ畑を購入して1,955年にオープンしてからの70年で、いくら稼いだのか。僕が滞在した1日だけでも30億の売り上げがあったと思います。
加藤ひろゆきさんは、ディズニーランドのことを「資本主義の総本山」と何度も言っていました。僕は駐車場経営をしていたので、駐車場に置きかえて考えてみました。すると、こんな田舎に駐車場だけで毎日1億近くの売上を上げる仕組みを作るなんて、究極のパーキングビジネスだと思いました。
僕は、その総本山でカーズのコーヒーカップのようなものに1度乗り、後は座れる場所を見つけて持ち込んだMacBookAirで原稿を書いていました。3万円払ってディズニーでこの原稿を書いている・・・。それなのに疲れきって、1人先に駐車場へ戻って車で寝ていました。
加藤ひろゆきさんはこの日、ユニバーサルスタジオに行っていました。この日は会えないなと思っていたら、深夜1時半に集合がかかり、4時までノームス。まさかこの時間から食事に行くと思っていなかったので財布を忘れてしまったのですが、全部払ってくれました。
こんな深夜に遊ぶなんて、大学生の時以来です。この日から、僕は加藤ひろゆきさんに対して不動産投資の世界の著名人という認識から、遊び人の先輩という認識に変わりました。
LAの深夜に先輩から、「もう働くな、もっと休め」と言われたことは忘れません。
■3日目(3月29日)
この日は先輩からの提案で、起きたらホテルのプールで待ち合わせをして、日光浴と敷地内のコインランドリーで洗濯をすることになりました。
先輩はすごくアバウトにみえて、準備のプロです。LAでも財布の中にチップ用のお札が大量にしかも綺麗にセットされていて、コインランドリー用のクォーターコインも大量に忍ばせている。僕にも25セントコインを大量にくれました。なぜか、1万円をもらったような気分になりました。
先輩に物件を売る人は、皆こういう気持ちになるのだと思います。20万円が200万円に、200万円が2,000万円に相手が感じるようなお金の使い方をできる。だから、激安で物件をたくさん買えるのでしょう。
異国にいる時は通常、時間の単価が増すものです。ここに来るのに、多額のお金を支払っているのだから当然です。でも先輩はホテル、レンタカー、宿代に数百万円を払っても、やることは日光浴。そんなのは通常は、桁違いの金持ちがやることです。さすが遊び人の先輩です。
この日も深夜0時に再度、集合。先輩が玉砕して帰国する直前まで住んでいたアパートに連れて行ってもらいました。そこは家主が表通りに複数の店舗をつくり、裏側をアパートと駐車場にしていたという素晴らしい物件でした。
先輩はここで、「ゴキブリのような生活をしていた」と言います。裏手の駐車場に車を停めて3時半まで語り尽くしました。それにしても毎晩、深夜3時過ぎにLAを爆走することになるなんて夢にも思いませんでした。
レコード店時代は、周りから「夜は危険だから出るな」といつも言われていました。そういえば、「LAに住む俳優は夜にドライブする」と映画の雑誌で読んだことがあります。胆力だけでなく、先輩は体力も底なしです。
■4日目(3月30日)
先輩は明日の朝に日本に帰るので、今日が最後の日。今日は朝から別行動です。まずは、僕の次男が「こちらに来たらしたいこと」とリストに書いていたアメリカのポケモンカードを買いに出発。
次に、世界最大のレコード店である「AMOEBA MUSIC」へ。今回、ここに行くことが僕の旅リストの1つでした。久しぶりに訪れたお店のグッズとU2のヨシュア・ツリーのレコードを買いました。
夕方からはドジャース戦を観戦。加藤先輩はスタジアムで、ヌートバー選手のお母さんと写真を撮ってもらい、大谷翔平選手のモノマネをするミニタニさんにも話しかけたそうです。やはり持っている人はどこに行っても持っています。
深夜0時30分から、「最後に少しだけ会いませう」と連絡をもらい、先輩のキャデラックの助手席へ。先輩は「ホテルの部屋は家族が寝ているから」と毎晩、ここでラジオの収録をしていました。
裏側の努力がすごい、と思いました。最後の晩は荷造りなどがあるだろうから挨拶をしてお別れと思っていたら、予想外に、「ノームスに行きませう」と誘っていただきました。
夕飯にノームスに家族で行ったばかりでしたが、そんなことは関係ありません。本日2回目のノームスで3時30分まで重要な会議。最後のお別れでは、なぜか涙が出そうになりました。明日の朝は見送らないと決め、別れました。
■「激安戸建投資はLAが原点だ」
僕は不動産業界に入ると決めた2007年に宅建の参考書を買い、自分が大家になる道も模索していました。その時に書店で出逢ったのが発売間もない先輩の1冊目の本でした。
他の本もたくさん読んでいましたが、先輩はアメリカで挑戦した経験があって、他の投資家とは違うと感じました。自分と似ているとも勝手に思っていました。
「激安戸建投資はLAが原点だ」と先輩の本やコラムにも書いてありました。僕はLAに来たことで、その意味をやっと理解できた気がします。そして僕自身もLAの街並みを見て、自分のレコード店をロードサイドに出したことや、僕のビル店舗投資のやり方が、大きな影響を受けていると感じました。
先輩は27年ぶり、僕は11年ぶりのLAでした。円は1ドル150円を超え、LAの物価も上がり、大麻が解禁され、車の量もかなり増えています。街を走る車のスピードが当時より早い気がして、とても怖かったです。自分が老いたのかもしれません。車窓からセンチメンタルな感情など起きる余裕もありませんでした。
その後、僕は予定していたセドナ行きをやめて、パームスプリングスに住む昔のビジネスパートナー家族に会いに行きました。セドナの代わりではないですが、U2の大ヒットアルバム「ヨシュア・ツリー」で知られるスピリチュアルな場所にも行きました。
それにしても、LAに数百万円も使って27年ぶりに上陸したにも関わらず10泊を超える滞在を同じホテルに泊まり続け、日光浴と洗濯、深夜のドライブを愛し、ぶったるんだ生活様式を崩さない先輩はカッコ良かったです。
僕もLAまで追いかけて良かったし、相手をしてもらえて光栄でした。いつか「アイスティー&ホットコーヒー」という、今回の対談音声CDを付けた本を出します、と先輩に宣言してしまったので、ぼちぼちやろうと思います。