不動産情報サイト「SUUMO」の「住みたい街(駅)ランキング首都圏版」でかつて不動の王者だった吉祥寺が、今年は首位に返り咲くどころか3位にランクダウンした。
ブーム終焉で吉祥寺は低迷してしまったのだろうか?かつての吉祥寺人気とはなんだったのだろう?今回は吉祥寺という街の本質に迫りたい。
そもそも、吉祥寺という寺があるわけでもないのに、なぜ「吉祥寺 」という地名がつけられたのか?武蔵野市のホームページによると、明暦の大火(1657年)で被災した江戸市内の吉祥寺という門前町の住人が転入、開墾したことに由来しているそうだ。
のどかな農村だった吉祥寺が発展の道を歩み始めたのは、1889年にJR中央線の前身である甲武鉄道が新宿ー立川間で開通してからだ。駅周辺の道路が整備されインフラが整ったこともあり、1923年の関東大震災後、人口が急増。1934年には京王井の頭線の前身である帝都電鉄も開通し、吉祥寺駅周辺はさらに発展していく。
戦中は軍需産業都市として栄え、戦後は東京のベッドタウンとして日本の高度経済成長期を支えた吉祥寺には、1971年、「吉祥寺サンロード」アーケードが完成。歩行者が安全・快適にショッピングを楽しめる通りとなり、近郊からも多くの人が通う街となった。
そんな吉祥寺が全国に知れ渡るようになったのは、1975年から76年にかけて放送されたドラマ「俺たちの旅」(中村雅俊主演)がきっかけなんだとか。
昭和50年代生まれの筆者はさすがにそのドラマは知らないが、1995年放送の「愛していると言ってくれ」(豊川悦司・常盤貴子主演)ならよく覚えている。
地方在住ながら毎週ドラマ内で目にする井の頭公園や吉祥寺の街並みに憧れ、上京したら吉祥寺に住むと心に誓っていた。
おそらく、これまでの吉祥寺人気は、筆者のような進学や就職を機に地方から上京してきた若者に支えられていたのではないだろうか。
オシャレな街、ライブハウスや映画館、劇場のある文化的な街、ジャズの街、グルメの街ーー。吉祥寺に抱くイメージは人それぞれだろうが、こうした冠で人々を魅了し、「住んでみたい」と思わせてきたのが吉祥寺という街なのだ。
駅周辺は至極買い物の便がよく、なおかつ都内でありながら豊かな自然に恵まれた吉祥寺は、東京に憧れて地方から上京してきた田舎者にとっては大都会と地元の良さを併せ持った天国と言えるかもしれない。
上京したての若者やアングラな劇団員が行き交う街、つまり、吉祥寺の魅力は、東京初心者にもとっつきやすい懐の深さや多様性といったところにあったのではないだろうか。
ところがーー
実際に住んでみると、吉祥寺って実はそれほど住みやすくはない街なのだ。第一に、駅から徒歩圏内の賃貸物件の数が少なすぎる。駅徒歩25分といった物件は当たり前。「吉祥寺在住」者のほとんどは、駅までバスや自転車を使う必要がある。
そして都心からの距離の割に家賃が高すぎる。ワンルームで8.5万ほどが相場とされるが、もっと安いエリアは23区内にもいくらでもある。
同じ中央線をもう少し下った武蔵境や武蔵小金井あたりの駅近物件に住んだ方がコスパと都心までの所要時間を考えるとお得度が高いはずだ。
ブランドイメージと家賃相場がどんどん上がってしまったからだろうか、もはや吉祥寺は地方からの上京者やサブカルを愛する若者たちが気軽に住める街ではなくなってしまったように思う。
事実、昨今の吉祥寺駅前で目につくのは、沿線の名門私立小学校の制服を着た子どもを連れた親子の姿だ。
駅前の雑居ビルにサピックスや早稲田アカデミーといった大手の中学受験塾や小学校受験教室の看板がずらり。自由が丘や白金高輪あたりでよく見る風景が、吉祥寺に広がっている。
今や吉祥寺は、都心の喧騒を離れ、落ち着いた環境で子育てをしたいという教育熱心なファミリー層に選ばれるハイソな街に変化しているのだ。
いわゆる「吉祥寺らしさ」は薄れても、吉祥寺人気は健在だ。街の性格や住民の属性が変わったとしても、吉祥寺はこれからも住みたい街であり続けるだろう。
健美家編集部(協力:
(おおさきりょうこ))