■東日本大震災で私が経験したこと
本稿は2024年、最初の執筆になります(前回までは、昨年末に健美家さんへ提出済みでした)。
元日に発生した能登半島地震の罹災関係者の皆様には心から御見舞い申し上げます。
私自身、このエリアに運営物件はございませんが、東日本大震災の時には、東京の地盤の弱いエリアの物件で、電気温水器破損による漏水、玄関ドアの開閉難、エントランス敷石クラック等、若干の被害がありました。
当時私は、臨海エリアのクライアント工場で現場出張作業中に罹災し、強制的に工場から出されて、移動交通手段も失い、重い現場用機材を担いで帰宅難民となってしまいました。
携帯基地局は停波しましたが、電池が長持ちするマニアックなポケットラジオとワンセグ機能付きガラケーを持っていたことが幸いし、逐次、情報収集できました。
翌日に漸く西東京方面まで辿り着け、何はさておき、当時介護中の母親を診て頂いていた介護施設へ帰宅前に、真っ先に駆けつけました。
その後は、通勤の帰宅時に毎日立ち寄って、介護スタッフの皆様のサポートをさせて頂きました。
計画停電も長期間定期的に続き、皆様は大変ご苦労されていらっしゃいました。
要介護の高齢
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