今回のFIREインタビューは、長崎大家の会を主宰されている川嵜慎司さんです。30歳でサラリーマンをリタイヤされて、現在はパートナーの不動産投資のサポートをしながら建材の輸入販売などを手がける会社を運営されています。
■ 住宅情報雑誌を見て400万円で購入した最初の物件
編集部
自己紹介をお願いします。
川嵜慎司さん( 以下、川嵜さん )
はじめまして、「 長崎大家の会 」代表の川嵜慎司と申します。長崎県在住の44歳です。2003年、26歳の頃から不動産投資を始めました。一時は110室ほど運営していましたが、現在はほとんど手放しています。
高校を卒業して就職したプラント会社の発電所のメンテナンス会社を30歳で退職して、セミリタイヤ。現在はパートナーである彼女の不動産投資サポートにつとめたり、新規事業を始めたりしています。
編集部
不動産投資をはじめたきっかけを教えてください。
川嵜さん
もともと二十歳ぐらいの時に、ネットワークビジネスに興味を持って、そこで権利収入というものを知ってから、お金に興味を持ちました。そして25歳の時、藤山勇司さんの『 サラリーマンでも「 大家さん 」になれる46の秘訣 』を読んでから、不動産投資について勉強を始めました。
編集部
最初の物件を買われた経緯を教えてください。
川嵜さん
藤山さんが本で書かれていた “利回り重視” というのを私も実践して買おうと思っていました。その時はまだネットに情報があまりなかったので、住宅情報雑誌でずっと探していました。
そうして当時たまたま見つけたのが480万で売りに出ていた物件です。長崎の南部で築34年の8世帯、建物は傾いていまして、接道がなく再建築不可のアパートでした。売主さんが大阪の方で、相続が理由ということでした。失敗したら、ちょっと車を潰したくらいと思えばいいやというぐらいの考えでスタートしたんです。
雑誌に出ていたその物件にすぐ問い合わせをしたら、まだあるということだったので、すぐ見に行きました。売り出し価格は480万だったんですが、400万で差し値をして購入することができました。
ところが手持ちがなかったものですから、この頃持っていた車を売って10万ぐらいのボロいやつに乗り換えて、現金を130万ぐらい作り、それを頭金にして融資を受けて購入しました。不動産屋に紹介してもらった長崎の地銀で、期間8年の金利2%くらいで借りました。務めていた会社のおかげで属性が良かったみたいで、すんなり借りることができました。
物件の近くにバス停があり、本数もそこそこありました。物件には駐車場がついていなかったんですが、近くに借りられそうなところがあったので、購入には特に問題ないだろうという判断をしました。
編集部
その辺は、事前に色々ヒアリングされたんですか?
川嵜さん
そうですね。自分で調べられるところは調べましたが、その頃はやっぱり素人なんで、調べ方もよく分からず、ただ周辺を歩き回って聞いたという感じですね。ちなみに購入時は8世帯中6世帯の入居で、私が購入した後退去が続き、2〜3カ月で半分になってしまいました。でもそこから1年ぐらいかかって満室にしました。
■ その後1棟目の隣の物件を50万円で購入!
川嵜さん
ちなみに1棟目の物件の隣に4世帯の物件があったんですが、そこも少し後の2011年に50万で買いました。1棟目と合わせたら接道ができたので再建築が可能になったんです。
建物は最初の物件と同じ工務店さんで建てられていて、最初に買ったのと似たような形をしていました。オーナーさんが地元の方で高齢だったので、隣のオーナーさんが若い方だったら、もういくらでもいいから売りたいとおっしゃっていて、譲っていただきました。
100万でも200万でもいいと言われたので、20万で提案したら、さすがに押し戻されて50万に落ち着いたんです。でもリフォーム費用は結構かかりました。下水が来ていなかったのでそれをつなげるなどの手間はかかりました。
編集部
ご自分でもDIYで修繕をやられたんですか?
川嵜さん
そうですね。外壁を塗ったりとか、室内もちょっと和モダン的な方向にしてみたら、入居が決まり出したので、ある程度コンセプトを決めてからリフォームしていった方がいいんだなと気づき始めたのが、その頃ですね。
編集部
満室になるまでどれくらいかかりましたか?
川嵜さん
これも1年ぐらいかかりました。入居者が新しく決まるたびに水道館が破裂したりなど結構ありましたので、物件リフォーム費用としては、400万いかないくらいだと思います。
ちょうどその時に物件を売ってくれないかという話が出てきたんです。新しく不動産投資を始めたいという、大家さん仲間が連れてきた方で、その方にお売りしました。その時満室で、利回り20%ぐらいだったら僕も嬉しいし、購入される方も嬉しいだろうということで、2,200万円で売却しました。
編集部
ほかにはどのような物件を買われたんですか?
川嵜さん
1棟目の次に買ったのは10世帯の3,200万、築年数15年で利回りが15%くらいの物件です。これも雑誌で探して、ちょうど長崎大学の近くの学生ターゲットの物件が何件か売りに出ていたうちのひとつを買いました。そうして2008年に仕事を辞めたんです。
■ 仕事を辞めたが、生活費のためのキャッシュが足りなかった!
川嵜さん
その頃、私がちょうど30歳になり親父が亡くなりました。それまでは、親父に物件を手伝ってもらったりもしていたんです。仕事を辞めるかどうかで親父とはよく喧嘩していまして、私としてはもう独立したい、会社を辞めたいという話をしていたんですが、親父からしたら安定した仕事だから辞めるなというわけです。
そんな親父が亡くなり、母親も1人になってしまいました。母も寂しかったんだと思います。私は入社してすぐ佐賀の唐津に赴任したんです。実家から車で1時間半ぐらいの距離です。そのあと父が亡くなる頃は鹿児島の川内市で働いていました。そこから実家までは4時間ぐらいかかる距離なので、気軽に帰れる距離ではなかったんですね。
辞めたいんだったら、もうやめて実家に帰ってきたらと母親が言うんです。そしてアパートを持っているんでしょという話になって。でも、最初の1棟目を持っているとは言ってあったんですが、2棟目を買ってあるとは言っていません。お金はどうすると聞かれて、実は2棟目もあるから、ある程度は食べていけると説明しました。
これをきっかけに辞めないと多分ズルズル行くなというのが私の中であったんです。やっぱり融資が引けるからと言うので、会社に甘えて融資を引こうというのが続いたら、まだずっと会社に残っているだろうなと思って、それがちょっと嫌だったので、思い切って退職しました。
ところがいざ辞めてみたら、キャッシュフローは月20〜30万くらいしかなくて、全然生活費が足りないじゃん!っていう状態でした。
編集部
それは大変でしたね。
川嵜さん
そうですね。でも辞める直前にリフォームをやってくれる職人さんと知り合っていたのが救いでした。その方も駆け出しというか、まだお客さんがそんなにいない状態だったんです。大家の会のメンバーさんなどを紹介しつつ、僕も一緒に手伝いながらやっていって稼いでましたね。うまくチームを作ることができました。
そうして退職後の翌年に3棟目の6世帯150万円の物件を現金で買いました。この頃はもう長崎大家の会をスタートしていまして、他のオーナーさんから自分はもう買わないけどよかったら、ということで情報をいただいて買ったものです。
編集部
150万とは、これもずいぶん安く買われましたね。
川嵜さん
これも全体が傾いていたのと、長崎ならではの地形の問題、階段地だったからですね。さらに全空ということもり、差し値が通りました。ジャッキアップはしやすかったですが、下水も来ていなかったんで、下水を自分で掘ったり手間はかかりました。
■ 手持ち物件を売り、一気に1.5億のRCを購入!ところが…。
編集部
その後はどんな物件を買われましたか?
川嵜さん
1棟目の8世帯と隣り合った4世帯を2,200万で売却して、6世帯の物件もまた他の方に譲ってほしいと言われて1,200万で売却したんです。それを元手に次は1億5,000万のRC物件を購入しました。地元の地銀で、金利は1.75%くらいの融資が引けました。
7階建てで70世帯あって、下にコンビニが1軒。そこには専属の管理人さんがついていて、その管理人さんを引き継ぐという条件で購入したので、ある程度、管理をお任せすることができました。
ところが大学生がメインだったので、年末から春先にかけて半分近くが出たり入ったりするんですよ。入居が入れ替わった後のリフォームとかは結構バタバタしましたね。
買ったときの入居率は90%ぐらいで、利回りは15%ほどでした。ただ、家賃を結構下げて全部3万円にされていたので、私がリフォームしてから全部3万7,000円に上げていきました。
編集部
順調に資産を積み上げられた感じですね。
川嵜さん
ところがちょっとお恥ずかしい話、このあと他の事業に手を出しまして、資産を全部吹っ飛ばしてしまいました。輸出関係のビジネスで、人に誘われて騙されてしまったような感じです。
不動産を転売しながら事業資金に充ててがんばったんですが、難しかったですね。2億ぐらい投入したんですが、全て終わった段階で借金が残り、それを払えなくなってしまいました…。
編集後記
順調に資産を積み上げて、億単位の不動産を購入できるまでになったところに降って湧いた事業の失敗。本当にお気の毒としか言いようがありません。後編はそんな状況にもへこたれずに再起を図る川嵜さんの姿をお伝えいたします。お楽しみに。( 担当:T )