ある理由をきっかけに40代半ばで仕事と人生の転機に直面。そこから不動産の道へ進み、わずか2年でFIREを達成、タイ・パタヤへ移住した岡本日出世さんにお話をうかがいます。エンジニアとして順調なサラリーマン生活を送っていた岡本さんは、不労所得やFIREを夢見て不動産投資を始めたわけではなく、そこには切実な理由がありました・・・。
■ 眼の病気がわかり、人生の転換を余儀なくされた
編集部
自己紹介をお願いします。
岡本日出世さん
1962年石川県生まれの岡本といいます。地元の高専卒業後、神奈川県の電機メーカーに就職。その会社に約26年間勤務した後、2009年8月に早期退職しました。その年に宅建に合格して、翌年から2年ほど都内の不動産会社2社でアルバイトを経験し、自身の不動産収益物件を買いました。
そのとき買った物件は、都内中野区にある全6戸の中古木造アパートと、都内の戸建1軒です。2012年5月からはタイのパタヤで暮らしています。現在は特に仕事をせず、48㎡のワンルームに一人暮らしし、リタイア生活を楽しんでいます。
編集部
総投資額と、現在の家賃収入、キャッシュフローを教えてください。
岡本日出世さん
最初に買ったアパートと戸建の他に、タイに移住した後に買った埼玉県の区分マンション1戸があります。全部で3棟8部屋ですね。投資額は物件購入価格が全部で約4,200万円です。すべて現金で買いました。
ただ、一度アパートを500万円程度かけてリフォームしたため、それも含めると総投資額は約5,000万になります。家賃収入は年に約500万円で、3割ぐらいを経費として見ると、キャッシュフローは350万円程度です。
中野区の6戸アパート(旗竿の奥)
編集部
2009年に40代で会社を早期退職して不動産の道に進んだのは、どんな経緯があったのですか?
岡本日出世さん
目の病気がきっかけです。今から15年前、私は自分の右眼で携帯電話の画面が読めなくなっていることに気づきました。当時はまだガラケーでした。
大学病院で診てもらったところ、「 黄斑ジストロフィー 」と診断されました。目の網膜の1ミリ四方ぐらいの黄斑というところの細胞が死んでしまい、視界の真ん中だけ見えないという状態になるのです。
編集部
それはつらいですね。車の運転もできなくなるのでしょうか?
岡本日出世さん
はい。信号機も見えないし、動体視力も落ちてしまうので運転は無理です。視界全体の90%以上は見えているのに、ちょうど正面の焦点を合わせるべきところが見えない。だから鏡を見ても自分の顔が見えないという不思議な感覚でした。私の仕事は映像のエンジニアだったので、仕事をする上では致命的な病気でした。
編集部
では、仕事も続けられなくなったということでしょうか?
岡本日出世さん
すごくいい会社で、職場を配置転換してもらえるなどの配慮をしてくれました。しかし、どうしてもいただいている給料の分働けないという負い目を感じてしまい、退職を考えるようになりました。
そこで今後、どんな仕事をしていけばいいだろうと知人に相談したところ、不動産を勧められたのです。特に大家業は、目が不自由でも務まると言われました。そのアドバイスに従い、これまで縁のなかった不動産の世界に、40代半ばを超えた年齢で飛び込むことに決めました。
たまたま会社で早期退職者を募集していたので、スムーズに辞めることができ、退職金も得られました。
■ 宅建士試験に合格し、不動産屋でアルバイトしながら大家デビュー
編集部
そこから大家業をスタートさせたということですが、物件選びや賃貸経営のノウハウはどのように学んだのですか?
岡本日出世さん
ノウハウなどはアルバイト先の不動産会社の社長さんが親切に教えてくださいました。物件情報も社長の紹介です。不動産会社で働いていると、色々な物件情報が入ってきます。ご存じの通り、いい物件は右から左にすぐに消えていきます。そんな物件を見つけた当時の社長が、私に声をかけてくれたのです。
最初に買ったのは競売物件のアパートで、1ルーム×6戸で価格は3,000万円でした。ちょっと変わっていたのは、入居者さんが全員インド人だったことです。競売に入札した人は私以外にも何人かいたのですが、入居者が全員インド人という特異性にビビったのか、降りてしまったようです。私は英語ができたので、彼らとのコミュニケーションはスムーズでした。
話を聞いてみると、全員ITエンジニアで、金融機関の基幹システムのプログラミングという堅い仕事をしていました。彼らはインド人の中でもエリートで、並みの日本人より稼ぎがありますから、周辺相場より2割程度高い家賃収入が得られることもわかりました。投資としてはすごくおいしい物件だ! と、その時は思いました。
都内の戸建
編集部
その時はということは、……続きがあるのでしょうか?
岡本日出世さん
この物件は2010年12月に買ったのですが、数カ月後に東日本大震災が起きたのです。インド本社から帰国命令があり、残念ながら入居者のみなさんは本国へお帰りになりました。
そこから空室となった部屋の中を見てみると、古いためかそのままでは客付けが難しそうでした。
そこで半年以上かけて徹底的にリノベーションをして、壁や床板も全部張り替えました。リフォーム費用には、がっつり500万円ぐらいかかったと思います。年末から再度募集を始め、なんとか満室に戻すことができました。入居者は日本人と外国人が半々で、あい変わらず外国人に好まれるのが、不思議でした。
編集部
すべて現金で買われたということですが、約5,000万円の資金はコツコツと貯めてきたのですか?
岡本日出世さん
私は20歳で就職してから、基本的に収入の半分は貯金していましたし、退職金もありましたから、全物件を現金で買えました。今も普通に生活している分にはお金は増えていく状態です。減ったのは2008年頃のリーマンショックで、株で結構やられました。やっぱり不動産は堅いと思います。
■ 物価の安さと障壁の少なさが魅力なタイへの移住
編集部
アパートを満室にされた後、タイに移住されました。この経緯を教えてください。
岡本日出世さん
苦労しつつも満室にして、不動産の家賃収入が安定して入ってくることがわかりました。そのときに、「 目が不自由な私でもなんとかこれで食っていけるぞ 」と実感したのです。満室にしたら、あとは管理会社任せですし、特にやることはありません。
じゃあ、もしかして東京に住んでいる必要もないのでは?と感じました。そのときちょうど50歳になったので、それを機会にFIREを決め、タイに引っ越しました。
編集部
リタイア後の生活の地として、なぜタイを選んだのでしょうか?
岡本日出世さん
一つは物価が安いという経済的な理由で、もう一つはビザが取りやすかったということです。タイの場合、満年齢50歳以上でタイの国内の銀行に80万バーツ( 約260万円 )を保証金として預ければ、1年間の長期滞在ビザ、いわゆるリタイアメントビザがもらえます。
岡本さんの住む部屋から見える景色
住む場所を紹介してもらえたというのも理由の一つです。私の株式投資の師でもある、ユダヤ系アメリカ人の友人が、タイのパタヤに住んでいたのです。以前から彼にリタイアのことを相談していたところ、彼の持つゲストハウスを紹介してくれました。家賃は日本円で5万円ぐらいでした。
編集後記
眼の難病に直面しながらも自分の人生を好転させる努力を怠らず、見事に短期間でFIREを実現させた岡本さん。タイでの生活については、後編で詳しくお伝えします。