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「泥人形」のように働いた会社員時代

大家対談/張田満×山岡清利さん_画像


今回の大家対談は、サラリーマンを早期退職して、好きな場所に移住したという共通点を持つ、山岡清利さんと張田満さんに、セミリタイアまでの道のり、移住を決めた理由などを語り合っていただきます。東京から札幌へ移住した山岡さんと、札幌からマレーシアへ移住した張田さん。初回は山岡さんが警備会社の社員から起業と不動産投資を経て、札幌に移住するまでのお話で盛り上がりました。


■ 札幌への移住を目的に東京から札幌のアパート4棟を購入


山岡さんとの出会いは、2012年に山岡さんが講師を勤めていたセミナーに参加したのが最初ですよね。時間がなくてなかなか行けなかったので、「 やっとセミナーに出られる 」と嬉しくて、一番前に座ったんですよ。


それから、お酒の席で会うことが増えて、仲良くなったんだよね。張田さんがマレーシアに行ってからも、札幌に帰ってくるたびにこうして情報交換できるから、意外と離れている感じがしないよね。


対談会場となった山岡家から外を見ると一面の雪景色


僕も同じです。ところで、山岡さんは東京から札幌に移住して、どれくらいですか?


2007年からだから、もうすぐ10年。もともと札幌に移住したくて、2003年から1棟ずつ、札幌にアパートを買っていたの。本当は5棟建てて移住する予定だったんだけど、4棟目を購入した所で空室が増えてきたので、「 自分でやらなきゃダメだな 」と思って、予定を早めて来たんだよ。


その時点での家賃収はいくらくらいあったんですか。生活するのに安心できるレベルでしたか?


月180万円くらいかな。半分は頭金を入れていたので、家族で生活できるくらいの手残りはあった。その時33才だったし、そのままセミリタイアするつもりはなくて、今やっている遠方大家さん向けのサービスを仕事にしようと思っていたんだ。

■ 警備会社を辞めてインターネット関連会社を起業


そうなんですね。僕はその頃、泥人形のように働いていましたよ( 笑 )。山岡さんはその時点でサラリーマンではなくて、社長だったんですよね。山岡さんが会社を辞めて起業した話をで読みました。



たまたまた乗った電車の網棚に捨てられていた雑誌を読んで、その中に出ていたホームページを作る仕事をしようと決めたんでしたっけ。



うん、そう。「 SPA! 」ね。新宿から西武新宿線に乗って会社の寮に帰る途中で、 「 これからの時代はインターネットだ 」っていう記事があって、「 これだ! 」と思ったの。今でも覚えている。

それで、インターネットマガジンという雑誌の付録CD-ROMについていたホームページビルダーのお試し版で、ホームページを作る練習をして、起業したんだよね。あの頃は簡単なページを作っても数十万円もらえたよ。インターネット関連のビジネスが伸びていたから、タイミングがよかったと思う。


会社を辞めるきっかけはあったんですか?


僕は福島出身なんだけど、田舎を出たくて、高校卒業後に健康な若者なら誰でもOKという警備会社に入ったんだよね。でも、東京は恐ろしい街だったよ( 笑 )。仕事は48時間連続勤務が当たり前でとにかくきついから、ずっと続けるのは無理と思って、25才でやめるって決めていた。

企業のセキュリティーが担当だったんだけど、契約先の社員の人が間違えてビルの入口のカードを通さないでカギを開けたりすると、「 ビービービー! 」って警報が鳴って呼び出されるわけ。

一人で広大な範囲を見なければいけないから、勤務時間中は常にどこかに移動している状態。忙しすぎて友達もまったくできなかった。まっ、俺もその時泥人形!( 笑 )




山岡さんの性格からいって、友だちができないなんて考えられないです。そんな時代があったんですね。


うん。でも、いいこともあったよ。普通なら会えないような経営者さんと話ができたり、企業の表の顔と裏の顔を見られたり、会社の儲けの仕組みみたいなものを学ぶことができた。

それは、今も役に立っていると思う。結局、25才のとき会社を辞めて、起業したの。その会社がうまくいったから、資産運用も兼ねて不動産投資を始めたんだよね。


起業ではなく転職は考えなかったんですか?


実は起業する恐怖に負けて幾つか受けたんだけど、バカだから受からなかった( 笑 )。会社を辞めたときに貯金が30万円しかなくて、生活費を稼ぐためにウエイターのバイトを受けたら、それも落ちたくらい。

基礎学力がまったくないし、当時は、「 北の国から 」の純くんみたいな感じで、人とまともに話せなかったからね。

どうやって生きていくか考えたら、自分でやるしかないと思って、「 あなたの会社のホームページを作ります 」ってチラシをまくところから始めたんだよ。あのときは神田昌典さんの本なんかをよく読んだなあ。

■ 会社で偉くなることが成功だと思っていた過去


僕は山岡さんのように自由には考えられなかったです。昔から学校が嫌いで、高校も中退しようとしたけど、母親から「 高校だけは出てくれ 」って言われて卒業したぐらいなんです。

学校を卒業して社会人になれば自由になれる! と思っていたら、もっと窮屈になってビックリしました。会社ってわけのわからないルールがありますよね。



だけど、そのわりにはサラリーマンをけっこう続けたよね。


21年です。高校を卒業してからずっとメーカーの営業マンとして働いて、29才のときにテレビ番組を作る会社に転職して、39才まで働きました。

テレビのCMで「 24時間働けますか 」ってモッくんが歌っている時代で、忙しいのは当たり前だと思っていました。当時は会社で成果を上げて偉くなることが成功だと思っていたから、頑張りました( 笑 )。

でも、本当のことをいうと制作会社に入る時点で、いつか起業したいと思っていたのに、動く勇気がなかったんです。山岡さんは、起業するのは怖くなかったですか?



バカだから、危機感なかったの。始めてみたら、やればやるだけ収入になるから面白いし、時間も自由になるから精神的にもラクだった。人が困っていることを助けるとお金になるんだなあってこともわかった。

それに、明日は今日よりも進化しているんだから、きっと今よりよくなるはずでしょう? それなのに不安になるのはネガティブに考えすぎているんだと思う。先のことを考えて動かない人が多いけどさ、やってみればなんとかなるものだよ。


山岡家の庭で夏に行われた流しそうめん大会の様子


不動産投資に出会ったのは起業してからどのくらい経ってからですか?


5年目かなあ。2001年にロバート・キヨサキの「 金持ち父さん・貧乏父さん 」を読んで、「 やってみたい 」と思ったんだけど、どうすればいいかわからなかった。

それで、インターネットで検索したら、長嶋修さんが主催していた「 エクシード 」という勉強会が出てきて、そこに入会したのが2002年。

エクシードではたくさんの仲間ができて、本当に楽しかった。そこで不動産投資を学んで、2003年から札幌にアパートを買い始めたんだよね。当時は今ほど供給過剰ではなかったし、新築で8%後半〜9%台で建てられた


30そこそこでアパート経営ってすごいですよね。そのときから札幌に移住したい気持ちはあったんですか?


うん。もともと「 北の国から 」が大好きだったし、僕はバイクに乗るからツーリングでも北海道に来ていたの。北海道を徒歩でキャンプをしながら回る旅もしたことがあって、「 住むなら絶対に北海道 」って30才の頃から決めていた。だから、今はこうやって札幌で暮らせてとってもしあわせ。


そうなんですね。移住するにあたって、会社はどうしたんですか? 


会社を解散するしかないと思っていたんだけど、たまたま読んだホリエモンさんの本に「 会社は売れる 」と書いてあって、経理の人に「 会社って売れるの? 」って聞いたら「 はい 」って答えたから、社内にそのためのチームを作って、売っちゃった。関西の投資家グループが1億円で買ってくれたよ。


すごいですね。サクセスストーリーじゃないですか。


うん。あの本には感謝だね。でもその後、そのお金はFXで溶かしちゃたんだけどね( 笑 )。あのお金があれば、5〜6棟目が買えたんだけどなあ。それからFXは規模を縮小しました( 笑 )。


編集後記
山岡さんのサラリーマン時代から、札幌に移住するまでの話題で盛り上がった初回の対談。環境に侵食されることなく、逆風の中でも自分の心に正直に生きてきた山岡さんの心の強さと行動力がよくわかる内容でした。明日は張田さんの会社員時代とセミリタイアの理由を中心にお送りします。お楽しみに。


○ 全4回のテーマ
第1回【 僕らにも泥人形のように働いた会社員時代があった 】
第2回【 死にかけてわかった自分が本当に望む生き方 】
第3回【 アイディアは移動の距離に比例する。妻と子供の反応 】
最終回【 自分の頭で考え、行動することが「自由」の獲得につながる 】


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健美家不動産投資コラム

プロフィール

■ 山岡清利さん

山岡清利

□1971年、栃木生まれ、福島育ち
□4人家族(妻&2人の男の子)、札幌在住
ブログ:報告ネット業務日誌

□不動産賃貸業
□不動産管理状況巡回報告サービス業「報告ネット」代表

■ 経歴

□1990年
地元の高校を卒業後、東京の警備会社に就職

□1997年
警備会社を辞めて、WEB製作運営会社を起業

□2002年
北海道への移住を計画、移住後の収入源確保のために不動産投資の勉強を始める

長嶋修さんが主催する不動産投資の勉強会「 エクシード 」に入会

札幌市西区 新築木造AP 6戸

□2003年
札幌市中央区 新築木造AP 8戸

□2004年
札幌市豊平区 中古区分 1戸

□2005年
札幌市西区 新築木造AP 8戸

□2006年
札幌市中央区 中古木造AP 8戸+テナント

□2007年
当初の計画では5棟購入し札幌へ移住する予定だったが、市場の変化で遠方からの管理が難しくなり会社を売却、札幌に移住する。

移住後は大家業のかたわら、不動産管理状況巡回報告サービス業「報告ネット」の代表として、札幌に物件を持つ本州の大家さんたち等をサポートしている。


■ 張田満さん

horiuchisan

□1972年、北海道生まれ
□5人家族(妻&三姉妹)、マレーシア在住

☆不動産投資を始めたきっかけは大家列伝に詳しく載っています
大家列伝【前編】
大家列伝【後編】

□不動産賃貸業
□映像クリエーター

■ 経歴

□1990年
地元の高校を卒業後、メーカーに営業職として入社

転勤で東京勤務になった初日、駅の人出を見て「今日は祭りか」と思ったら普通の日でショックを受ける。
田舎に比べて生活自体にお金がかかる東京暮らしに疲れていたため、数年で再び札幌勤務となりホッとする。

□2002年(30才)
映像制作会社に転職、アシスタントディレクターとなる

□2007年
結婚

□2008年
7月:メニエール病になるが、約3週間でまあまあ回復  
8月:北海道の人気番組のディレクターとなる

□2009年
交通事故に遭ったのを機に不動産投資の勉強を開始

□2010年(37才)
8月:1棟目のアパート購入(2LDK×4)


□2011年
8月:2棟目のアパート購入(1LDK×1、2LDK×2、3LDK×2、テナント×1)


9月:3棟目のアパート購入(1K×10)


□2012年(39才)
2月:4棟目のアパート購入(1DK×8)
5月:5棟目の戸建て購入(6LDK)
6月:映像制作会社を退社
8月:自分の会社を立ち上げる
9月:6棟目の戸建て 購入(4LDK)

□2013年(40才)
2月:7棟目のアパート購入(2LDK×6)
7月:8棟目のアパート購入(2LDK×4)

□2014年(41才)
マレーシアへ移住

新築RC物件・海外コンドテル・海外コンドミニアムなど含め、計100室を所有する

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