ワシが『富導算塾』塾長、江古田島平八である!!
性格が破綻しているので、人の「不幸」話に興味がある。そもそも、本人が話す「不幸」話は、聞いてほしくて話してくることが多い。
本人が「大変だったね」「それはひどいね」「なんとかなるよ(するよ)」的な反応を求めて話すのであれば、ワシ以外の誰かに話して優しい言葉をもらえばよいと思っている。ワシはある意味、不幸に鈍感だから。
ワシの実家が東日本大震災で全焼した話や、埼玉の物件が購入後3日で無保険で水災にあった話や、保証会社未加入の外国人入居者の夜逃げの話や、玄関にお札を張りまくるキングボンビーみたいな入居者との攻防も一般的には「不幸」話に分類されると思う。
(あれ、過去のあれこれを並べて書いていたら目から水が・・・花粉症かな・・??)
でもワシは、どんなことがあっても「不幸」だとは思わない。
お金・資産・余裕が足りていない人が、ダメージを極度に受けた場合は本当の「不幸」話になるが、それが足りている人にとっての「不幸」体験は経験値稼ぎでしかない。
一時的にお金が減ることや残高が少し減ることくらい、長い人生で見たら、「誤差」。むしろ、人がしていない経験をできたのなら、強みにもなるはず。
「今」という超短期的な視点でジャッジするのではなく、「人生」という超長期的な視点で見て、あとから笑い話に変えられるように経験を楽しむことが大事なんだと思う。
■海外の企業に転職したが半年で解雇となった研究生
日本の勤め先を辞めてマレーシアの会社に転職、家族で海を渡っていった研究生のホンイツ君から久しぶりにLINEが来た。実に二か月ぶりの連絡だった。
「私事ですが念のため共有させていただきます。6か月、マレーシアで頑張りましたが力及ばず解雇となりました。妻と話し、私だけ地元に帰ります」
ワシは、「本当におっちょこちょいだな。エイプリルフールは来月ですよ」と返したが、嘘ではないんだろうなと思った。
残念だが、何故か悲愴感は沸かない。ワシの性格が破綻しているからではなく、ホンイツ君に毎月80万円弱のCFがあることを知っているから。
彼は、その手に自分の人生のハンドルをすでに握っている。
海外のベンチャー企業で高給で採用されたが、期待されたような成果が出なかった。試用期間の6か月でそう判断された。
しかし、「海外の会社に転職して、6か月で解雇された」というこの事実を不幸話にする必要があるだろうか??
人生という長い期間で見たときに、それは不幸なのだろうか???
ホンイツ君は日本で、サラリーマン属性を生かして月80万のCFを作った。海外で働くという夢を叶えるために転職活動をして採用された。そして、家族とともに海外に拠点を移した。
その判断は正しかったと思う。
その証拠に、彼は日本に戻るが、彼の奥様と子供たちは海外生活を継続する。
ワシは海外で労働体験がないし、英語も満足に話せない。
彼は、ワシが経験していないことをたくさん経験している。
30代でのチャレンジは、この先の人生に必ず生きてくるだろう。
また、彼にはすでに毎月のCFが80万円ある。日本か海外で労働して、もう少し不動産を増やしていけば、“上がれる地点”が見えている。
不動産を買いながら「準備」を整え、「チャレンジ」も成功させた。
「継続」は出来なかったが、飛び出した先が合わなかっただけ。
努力して身につけた英語力は消えないし、不動産からのCFも消えない。
これまで「準備」してきた部分がなくなるわけではないのだから、また出直せばよい。
■半年でクビになった話を笑い話にするために
数年後、彼は「半年でクビになった話」を鉄板の笑い話として懐に忍ばせることが出来るだろう。
想像してほしい。不動産から100万OVERのCFを作り、数年ごとにさらにCFを増やしながら「余裕」で人生の手綱を握っている40代中盤のホンイツ君が、楽しそうにこう話すのだ。
「僕は30代後半でまだFIRE出来るCFがなかった時に、海外で働く夢を叶えるために転職活動して、成功したんだよね!!・・・・・でも、半年で首になっちゃってさ(笑)。
その時はちょっと落ち込んだけど、日本でまた働いてもう少し不動産を増やして、今度こそFIRE出来たんだよね。当時は少し焦ったけど、あの時に家族で海外に渡って現地働いたことはすごく良い経験になったよ!!」
会社員時代に物件を買ってCFを積み上げ、FIRE生活を謳歌している大家さんが語る、「若い時に海外転職したけど半年でクビになった話」は、「不幸」な話だろうか???
人生は長い。目的地へ向かう過程で起きる出来事は、プラスでもマイナスでもなく、ただの経験でしかない。
「成功」しかしたことがない「成功者」はいない。
「失敗」を「不幸」ととらえずに「経験」にして力を蓄えた人が「成功者」になる。
「今」の「結果」で人を判断することは不毛だ。
「未来」のための「通過点」でしかないのだから。
「将来」、自分のこれまでを振り返り、その出来事が「結果」につながる一つの要素であったと感じる日が来るだろう。その時、本人がそこにどんな意味があったのかを判断すればよい。
失敗を人のせいにしたり不幸話にしたりする人と話しても、楽しくない。
自分の「選択」したことの「結果」を、ただの不幸話で終わらせてしまっても面白くない。
うまくいかなかったとしても、将来話すときに楽しい話に聞こえちゃうくらい、自分の未来を明るくしていこう。幸せになった人の「過去」にあった「経験」は、決して不幸話にはならない。
人生はこの先も続く。
やる気とCFがあれば、何度だって挑戦できる。
「準備」をしっかりして、「将来」に備えるんじゃ!!!