24年2月で51歳になりました。50歳最後の月に(今年1月)コラムをスタートさせていただいたことは何か光栄でもあり、おそらく将来の思い出になると思います。
前回のコラムで書いた通り、40歳から年収240万円で不動産投資を始め、それからはたくさんのアパートやホテルを建てたり、リノベーションしたりしました。そして最近は、次の人生をどう楽しむかをよく考えます。
最近、同年代より少し上の先輩、53歳〜55歳あたりの方々と仕事をする機会が多いのですが、皆さん、「50歳以降にどのような生き方をするか」を模索中です。
私のモットーは「BE FUN 楽しくあれ」。皆さんは生き方をどのようにデザインされていますか?私は結構アンテナを張り、先輩の意見なども参考にしながら将来を考えています。
・会社を売って二拠点生活(実家の街と東京にコミットまちづくり)
・会社を社員に引き継いで、新しいビジネスを始める
・サラリーマンをやめて、大学生の時に目指した研究の職業に再就職
・不動産収入で生きていけるように頑張って、家族、自分の時間を増やす
・jicaシニア海外協力隊の準備をする(今は年齢制限なし)
・大学院にはいって建築の研究、古民家の研究をする
・サラリーマンのスキルを生かして大学、専門学校で教員になる
・まだ元気な年齢で、業界の新しい働き方を挑戦、後世の例題になる
まだまだ、できることはたくさんありそうです。
■50歳論:鈴木おさむ的50歳の迎え方、秋元康、糸井重里、伊丹十三論
最近YouTube、書籍をあさっていて気になったのが、鈴木おさむさん(51歳)です。詳しくは、本、YouTubeで是非。
参考の本は「仕事の辞め方」
参考のYouTubeは https://www.youtube.com/watch?v=FlUBeiSUTmg
簡単に解説すると、この方がやりたいことは「若手の応援!」だそうです。引退することで、次世代の放送作家に仕事を譲る。
また、放送作家だった自分が別の新しいことにチャレンジすることで、「老後もめちゃ楽しいよ!」と伝えたいとのこと。その為に今の仕事を辞めたり、引き継いだりした。そんな内容です。
めちゃめちゃ共感!!!40代後半から会社のこと、人生のこと、家族のこと、建築家、大家さんの未来など、いろいろなモヤモヤがありましたが、この本で何かが見えた気がしました。
建築家、大家さんの選択肢がどんどん広がり、こんなに楽しい建築家、大家さんになりたい!と「TikTok」の人気者並みに高校生、中学生が興味を持つような大人になりいです。(TikTokはしていません・笑。スイミーの目になりたい)
■ゲームチェンジャー、常識を変えて業界を震撼させた人々
確かに体力的なリミットを考えると、50歳前半で次のチャレンジに移るには、30代後半から準備を始め、40代後半あたりのまだ業界に影響がある年齢でいったん区切るのが良いタイミングな気がします。
皆さんは、どう思いますか?
ここで、世の中の先輩たちが40代以降で第二のスタートを切って活躍されている事例を紹介します。
〇秋元康さん (放送作家から音楽プロデューサー)
47歳: AKB48をスタートする
握手会でCD販売やジャンケン大会、選挙でメンバーセンバツなど、新しいルールでファンを魅了する仕組みづくり。
〇糸井重里さん(コピーライターから編集長)
50歳:ほぼ日刊イトイ新聞をスタートする
https://www.1101.com/home.html
夢に手足を。夢には翼しかついていない。やさしく!つよく!おもしろく! 新しい価値となる「おもしろく」をどれだけ生み出せるかが、ほぼ日の特長です。(ほぼ日のモットー)
さすがコピーライター的表現 糸井重里さんらしいコメント。
こちらは会社概要
https://www.hobonichi.co.jp/company/philosophy.html
〇伊丹十三さん(俳優から映画監督)
51歳:映画監督デビュー タンポポ 1985年など
1980年後半頃から、俳優、お笑いの世界から、小説、映画の世界、監督になる道が開けたと思います。
他にも、ビートたけし(1989年)さん、竹中直人(1991年)さん、劇団ひとり(2014年) などが、ある程度の年齢になってから新たなキャリアを築いています。彼らの仕事は、後世に影響を与えたと思います。
■つんく的、迷った時には中2に戻れ!
じゃあ、私は40歳、50歳から何にチャレンジするの?と30代後半の頃から自問自答してきました。「楽しいことを仕事に」「楽しいことをしよう」とセミナーで話してきましたが、自分にとってのそれは何だろうと?
結果的に、新規事業として「SMI:RE DINER(スマイルダイナー代々木公園)」を2016年開業しました。
ここで、ビーフン29肉会(通称ニクニクカイ=肉を焼いてお客様に提供するコミュニティー飲食)を毎月開催して49回になります。なぜ29肉会やっているだろう? 何が楽しい?などとよく考えます。
そして、「そうだ、中2だ!」と気づきました。私は兵庫の田舎出身なのですが、父が小さな工事会社(鐵工所)を経営していて毎週のように職人さん、親戚、近所の人が集まって、BBQ、鍋、宴会をやっていました。
普通の家なのに、生ビールサーバー、お好み焼きの業務用鉄板、たこ焼き機があって(僕の「代々木ビーフンアジト」と同じだ)、沢山の人が食事を楽しんでいました
また、両親が共働きだったので、土曜日に学校から帰るとよく、自分で昼食を作っていました。兄、姉、おばあちゃんに褒められるのが嬉しかったのだと思います。
褒められるのに弱い、承認欲求で一杯なのが中2らしいですね・笑。あれから20年以上経った30代後半、新規事業として「飲食シェア事業」を始めました。結果的に好きなことが今のビジネスになっています。
これもあの頃の影響なのか、「自分で肉を焼きたい」という思いもきっかけの一つです・笑。車1台分の約4坪のシェアキッチンバーですが、コロナ前は夜営業が多く、4坪で25万ぐらい売り上げがありました。
今は昼営業が中心で、15万円程度の売り上げです。通常4坪賃貸なら8万程度の家賃がかかりますが、自社物件なのでかかりません。2年〜3年で3倍の売り上げになりました。
売上もそうですが、ここのシェアキッチンでお試しをして、実際に店を開業した子が3名いるのが嬉しいです。売上と若手起業の応援、両方に満足できるシェア事業に成長しました。
好きなこと、チャレンジ、承認欲求が同時に味わえる最高の不動産活用です。(夢はSMI:RE DINERから星の付くレストランが誕生する事、好きなことが勝、そんな応援を続けたいです)
現在4店舗、代々木、代々木公園、錦糸町、錦糸町でキッチンカーを運営中です。企画、設計して運営の委託もやっています。是非、皆様も何か好きなことを軸にチャレンジして楽しい不動産活用をしてみてください。
【2016】SMI:RE DINER 8月事業開始
【2020】SMI:RE DINER 101 10月事業開始
【2021】SMI:RE DINER KINSHICHO 7月オープン(運営委託)
【2023】SMI:RE DINER KINNSHICHOキッチンカー(運営委託)
参考の本:「つんく凡人が天才に勝つ方法」
僕も、50歳から次のステージも楽しんでいます。
②1724市町村元気計画
③2拠点、3拠点別荘型ホテルの開発などなど
これまで、お客様の設計依頼を含めると100棟以上設計監理をさせていただきました。難あり、楽あり、儲かり、心配する、新しい事にチャレンジする、いろいろです。
それらのオーナー秘話、各プロジェクトのコンセプトやホテルの成功、失敗事例などについては、今後のコラムで公開していきたいと思います。
今回の教訓:50歳からもますます楽しく!Be Funで行こう!