今回は40歳で年収240万円の激貧経営者だった私が、1棟目の融資付けをどうしたかのお話を紹介したいと思います。土地から仕入れて都内にアパートを建てるプランでした。簡単ではなかったですが、やり抜きました・笑。
■年収が少なすぎて融資がつかない!どう突破するか?
うちは父が小さな工事会社(鐵工所)、母が小さなアパレル店を経営していました。ボーナスはなく、スーツも着ず、人より頑張る事で収入を増やす働き方。土日も休日もなく、夜も残業していました。まさに高度成長期の典型です。
父は建築が完成すると、現金の札束を持って帰ってきました。私たち家族にとっては、その日がボーナス支給日。両親の働き方から、お金、経営、努力、色々なことを学びました。
父は投資も好きで、色々とやっていました。映画会社の未公開株、NTT(初めての民間株)、原野商法、円天市場(最終的に詐欺)など。そんな話が飛び交う家庭で育ちました。
そして設計士になって設計事務所を経営していた僕は、30代後半あたりから、不動産の設計、監理をしながら不動産の土地購入から新築の建築(事業)に興味を持つようになりました。
アパートの設計を頼まれることもあり、色々な大家さんと話す機会がありました。大家さんたちからビジネスとしての不動産、融資の打診、プレゼン方法などを教えてもらって勉強するようになりました。
しかし、なかなか年収が上がらない。当時の会社の売り上げは約5500万、役員報酬は240万で、営業利益は62万でした。設計をしてもスタッフ報酬、経費で消えてしまう。激貧の設計事務所社長でした。
でも、なぜか融資承認がもらえる自信がありました(当時は知識がなさすぎて)。皆様、ここが大事ですよ。相手の気持ち(愛)を想像して、仕組みから突破口を探るのです。
②自分の経験スキルをどのようにプレゼンしようか?
③年収以外の安心を提供できるか?
銀行員の立場にたち、融資の仕組みを理解しようと考えました。当時、融資を受けるには最低でも年収600万〜800万必要と言われていました。なぜ、年収が必要なのか?何故公務員、サラリーマンが借りられるのか?考えました。
答えは単純です。空室が増えてローンが支払えなくなった時に給料から補填するための保険的な意味合いで、安定した本業の収入が求められたのです。(あたりまえ)
そこで私は、「空室が出にくいデザインのアパートであるとアピールすれば、銀行の方も安心して貸せるのでは?」とそう考えました。(年収を上げるのではなくプレゼンと面談でなんとかしよう、ポジティブ)
当時、不動産の所有は自宅だけでしたが、2007年から6年で賃貸住宅を50棟近く設計していました。賃貸経営に興味があったので勉強もしていて知識もありました。
面談の時は、一般的な新築アパートの新築時、3年後、6年後の家賃の推移と、自分が設計した物件の推移を表にして、初期の利回りと数年後の利回りについてプレゼンをしました。
なんと、ビーフンの物件は空室がほぼなく、家賃が下がるどころか上がっている賃貸も複数あり、利回りが下がらないのです。その実績(自分の得意をプレゼン)があれば、絶対OKやん!と思っていました。
■13行目でようやくアパートの融資OKに!
しかし、結果は全然ダメ。最終的に12銀行から融資NGの回答をもらい、あまりのショックに唖然としました。でも、きっとできる。ポジティブ男はひたすらアポを入れ続けました。(こんなのナンパなら3人ぐらいで諦めるでしょ)
すると、な、な、な なんと13銀行目で○そ○銀行の支店長が、「おもしろいね!検討します」と言ってくれたのです。土地3,000万、建物3,000万 6室賃貸の新築計画です。(今考えると激安でした)。
地域、駅からの距離などの条件は良いとはいえず(土地の安さがすべて→その後値上がり)、デザイン1本で勝ちに行くアパート。デザイン賃貸がまったくない地域で、建築、デザインの力で人を引っ張る計画でした。
〇その時の物件「ハウス・カメアリ」↓
数日後に、「融資OKですよ!」と連絡をもらったときは、「えええええええ!」と感激しました。ポジティブ男はとうとう融資OKをいただけました。実績ができると、他銀行からも融資が受けられるようになりました。
そして10年で23案件(新築アパート、リノベ、戸建て、区分、再建築不可、土地)を手掛けました(たまに売却)。今、めちゃくちゃ楽しいです。今は建築、不動産、ホテル、飲食業などを経営しています。
■50代をどう楽しむか?
今、いちばん関心があるのは50代をどう楽しむかです。色々な計画があります。
①若手起業支援
②1724市町村元気計画
③2拠点、3拠点別荘型ホテルの開発などなど
これまで、お客様の物件を含めると100棟以上設計監理をさせていただきました。難あり、楽あり、儲かり、心配する、新しい事にチャレンジする、いろいろです。
役員報酬240万円で、融資がつかない時もあきらめなかった粘りが、今につながっていると感じます。(再現性は高くないと思いますが、愛と根性と仕組みが大事なのは同じ)
次回のコラムでは、40代、50代で新しいキャリアに踏み出した先輩の事例や、不動産ビジネスの次に始めたことなどを紹介します。私の経験が若い人の参考になれば、嬉しいです。
今回の教訓:常識を疑え!人生、愛と根性と仕組みです。