山岡清利さんとマッツンさんのFIREをテーマとした大家対談の第2回目をお届けします!前回は、お二人が会社員を辞めたお話と、不動産投資を始めたきっかけを話していただきました。今回はFIREする決断や辞めるタイミングについて深く話していただきました。
マッツンさん
18歳で就職して、25歳で起業して、32歳からアパートを購入し始めたって聞くと、早いなーと思います。それにしても、5,000万円のアパートで自己資金を半分入れたということは、かなり稼いでいたんですね。
山岡清利さん
うん(笑)。家に札束が積んであったので、おつきあいしていた彼女(のちの妻)に「何やってんの!?」って驚かれました(笑)。あと付け加えると、東京に住んでいる頃から、いつか北海道に移住したいって思っていたんです。
スキーやバイクが好きだし『北の国から』のファンなので、憧れがあるのですよ。それで、いつかは札幌に住むつもりで、積極的に札幌の不動産を買い進めていました。
マッツンさん
いつ頃、札幌には移住されたんですか?
山岡清利さん
2003年に不動産投資を始めて、移住したのは2007年です。4棟目を買ってからしばらくした頃ですね。年齢は36歳でした。本当は5棟目を買ってから引っ越すつもりだったんですが、空室が増えてきて、これは自分が行かないとダメだなあと思ったんです。
子供が生まれて東京の住まいも狭くなっていたので、妻に「札幌に引っ越さないか」と提案したんですが、「寒いところは行きたくない」と拒否されました。北海道の良さを伝えるために『北の国から』を見せたところ、「あんな水道も電気もない田舎には住めない」と逆効果になってしまいました。(笑)
それでも諦めきれなかったので、何回も妻を誘って北海道に出かけるうちに、札幌ならそんなにド田舎ではないし、良いところもたくさんあると分かってくれて、家族で札幌に引っ越しました。当時の家賃収入は月180万円くらいでしたね。
■東京の会社を約1億円で売却してアパートのある札幌に移住
マッツンさん
東京の会社はどうしたんですか?
山岡清利さん
札幌に引っ越すときに、会社をどうしようかっていうのは課題でした。今もそうですが、僕は馬鹿なので、会社が売れるってことを知らなかったんです。解散するしかないのかなと思っていたら、経理担当の人に「会社って売れますよ」と教えてもらって、結果的に約1億で売却できました。
関西の投資家グループの人達が買ってくれました。運が良かったですね。ただ、そのお金を別の投資に突っ込んだところ、リーマンショックで数千万円ほど熔かしてしまったので、やっぱり馬鹿だなと思います(爆)
マッツンさん
今はやりのM&Aをそんなに前に成功させたんですね。札幌ではどんな家に住んだんですか?
山岡清利さん
最初に住んだのは家賃が20万円くらいの街中のマンションです。ただ、街の中といっても札幌は車での移動がほとんどだし、「都心に住む意味ないな~」と思うようになりました。それで、子供が少し大きくなってから、札幌市内の大きくて庭も広い一戸建てに引っ越しました。
マッツンさん
かなり住居にお金をかけてきているんですね。
山岡清利さん
うん。住む所はかなりこだわっていますね。でも、街中のマンションも今の家も賃貸ですよ(笑)。僕はマイホームはずっと賃貸でいいっていう考えなんです。もうすぐ子供が巣立ちますので、次のステージでは夫婦二人で小さい家に引っ越す計画です。
■25歳で会社を辞めたもののお金の不安は常にあった
マッツンさん
山岡さんのお話を聞かせていただいていると、お金に困って不動産投資をした感じじゃないですよね?
山岡清利さん
いえいえ、お金の不安はありましたよ~。めっちゃ将来が不安でした。起業しても継続的に稼ぐのは大変です。一発屋かもしれないと思っていたので、稼いだ分を次に活かすには、どうすれば良いかと日々考えていました。
あと、そもそもの動機として、お金持ちになりたいっていうより、『金持ち父さん 貧乏父さん』に書かれていた「不労所得生活」への憧れが強かったです。しかも、超ぶったるんだ生活がしたかったんですよ。
マッツンさん
そうだったんですね。
山岡清利さん
あと、長島修さんの勉強会で「世の中には、幸せを求めて不動産を手にいれたが、意外にも不幸になる人々がいる。君達はそうなってはいけない」という教えを受けたんです。
せっかくリスクを負って不動産を買うんだから、絶対幸せにならなきゃだめだよなぁと思ったのを覚えていて、その影響は今でもありますね。
マッツンさん
大切なことですよね。ちなみに、会社を辞めるときも、不安はありましたか?私は不安しかなかったんですが(笑)
山岡清利さん
僕は2回、会社を辞めてますが、めちゃめちゃ不安でした。最初の退職は先輩の給与明細を見て、25歳の誕生日に「とりあえず退職しよう。あとの事は知らん!」という勢いで辞表を出しました。ただただ、沈み行くサラリーマン人生という船から逃れたかった、という思いからの行動です。
退職してしばらくは極貧生活で、キャベツだけ炒め、醤油かけパンの耳、牛乳なしホットケーキ、ケチャップご飯などをむさぼり食うような日々がしばらくは続きました。本当に計画性がないですよね(笑)
ただ、僕はバカだから危機感ってあんまり感じないんです。起業を目指しているのに、アルバイト情報誌を見て「あぁ!ここ時給いいじゃーん!」なんて、バーチャルバイトセレブを妄想し過ごすこともありました(笑)
マッツンさん
アルバイトって、グレードダウンしてませんか?(笑)
それでも25歳で会社を辞めた時は夢が叶ったと感じましたか?
山岡清利さん
そうですね。昔は人とうまく話せなくて、ファミレスのバイトの面接で落ちたくらいだったので、今思えば相当、危険だったんですが、その逆境にいる間もシティサバイバル感があって楽しかったです。少なくともお先真っ暗のサラリーマン生活より、夢がありました。
そういえば当時、TV番組の企画で猿岩石がヒッチハイクをしてたんです。それを彼女と一緒に見ているとき、僕が「仕事やめようと思うんだよね」と伝えたら、「やめて生活どうするの?」と聞かれました。
僕は、「生活なんてなんとでもなるじゃん。猿岩石だってなんとかなってるし」って言って本当に辞めちゃったんです(笑)。彼女も、「そうだね。猿岩石のように「ノーマネー!OK???」でなんとでもなるかも~♪」と応援してくれました。(笑)
マッツンさん
え~!お似合いのカップルですね(笑)
山岡清利さん
ほんと、親戚知人、友人も居ない、支援や応援してくれる人なんて一人もいない、独りぼっちの東京でよく独立したと思います。
マッツンさん
25歳で勤めていた会社を辞める時、会社の人たちには何か言われませんでしたか?
山岡清利さん
言われましたよ。「お前なんてこの会社を辞めたら お・わ・り・だ・よ」と糞ミソに叩かれ、陰口も言われました。「起業するのか?頑張れよ」と応援してくれる人は皆無でした。会社を去る人間が沈んで行く様子を好機の目で観察されるという、地獄的な注目を浴びました。
マッツンさん
なかなかきついですね。
山岡清利さん
頼る人もいないしスキルもなんですが、「25歳で辞める決意」だけはぶれなかったんですよね。その時は独身だったから軽く考えていたんでしょう。どうせ一人だし、一時的にホームレスになっても、最悪の場合は新宿中央公園の炊き出しを食わせてもらえばいいやっていう気持ちでした(笑)
うちは家庭環境がちょっと複雑で実家とは連絡も取っておらず、支援を受けるどころか身を寄せるようなこともできません。背水の陣でしたが、だからこそ、反骨精神に火がついて夢を叶えられたと思います。
■独立すると決めているなら、時期は早い方が良い
マッツンさん
私は山岡さんとは真逆のタイプです。会社員をしながら、家賃収入をどんどん増やしていって、数字上は生活費がこれくらいだから、もう辞めても大丈夫なところまで来ているのに、決断できなくて、基準が徐々に上がっていってしまいました。
山岡清利さん
いくらぐらいまで上がっていったの?
マッツンさん
最初の試算だと月のキャッシュフローが140万円あれば、家族で生活をしながら不動産を買い進めていけるはずだったんです。でも、それが達成できたら今度は金銭的な目標じゃなくて、職種的に一度離れたら後戻りできないということが、不安になってしまいました。
山岡さんは独立された時、25歳で独身だったとういことで僕と若干環境は違うのですが、人生がガラッと変わっちゃうような決断を何回もされていて、すごいと思います。勢いで進んだように見えて、逆に計画性があるようにも見えます。だって、それで今、すごく充実されているじゃないですか。
山岡清利さん
まあね。でも僕、飽きっぽいんですよ。だから続かなかっただけなのかもしれない。あと、さっきもちょっと言いましたが、自分が育った環境が複雑だったんです。
実の父は幼い時に亡くなり、母子家庭で育ちました。のちに育ての父が現れましたが、まぁまぁ最悪的に酷い人で、あんな過酷な環境でも生活できたのだから、奴の手から離れて俺一人になれた今、もう良い事しか起きないんじゃね?という変な期待というか確信がありました。
実際に起業してみたら、やればやるだけ収入になるし、時間の使い方を自分で決められるし、人が困っていることを助けて感謝されるし、嫌な人とは会わないし、付き合わないので、会社員の頃より精神的にラクになりました。
ただ、かなり幸運だったという自覚もあります。勢いのみで貯えも下準備もないまま退職し、孤立無援の状態で起業しましたからね。序盤戦は飢えとの闘いが相当つらかったです(笑)
マッツンさん
今の山岡さんからは想像できませんね。それでも若いうちに起業してよかったと思いますか?
山岡清利さん
うん。正直、起業とかFIREって時期が遅くなればなるほど難しくなると思います。結婚して子供ができると生活費が増えて教育費も上がります。子供が成長すれば、携帯が欲しいとか、服を買ってとか、塾や部活に行きたいとか、お小遣いちょうだいとか、出費がどんどん増えます。
独立を先延ばしにするほど生活にかかる支出も上がっていくので、永遠にやめられなくなっちゃうんです。だから、いずれ辞めるつもりなら、僕のように独身時代だったり、結婚したばかりだったり、子供が小さかったりというタイミングで行動に移すのが良いと思います。
カエルが水に入っていて、すこしずつ水を温めていくと、最終的に死んでしまうっていう話があるじゃないですか。ゆでガエルの寓話。気づいた時にはもう、身動きができなくなっているんですよ。だから僕は、大きな転機というのは早い方がいいと思います。早い方が、やり直しもききますし。
(編集後記)
FIREする決断やタイミングは人それぞれですが、対象的なお二人のお話は参考になりました。ヘビーな環境から現在の人生につなげた山岡さんの努力はすごいと思いました。次回は明日公開です。(担当:いんべす)