山手線の駅のうちで乗降車人員数がもっとも少ないのが鶯谷駅(台東区)である。東京に長く住んでいても降りたことがないという人も一定数いるのではなかろうか。というのは山手線の内側は駅のすぐ脇から寛永寺の墓地となっており、その先には国立博物館などがある上野公園が広がってはいるものの、普通は上野駅からアプローチする。
また、山手線外側の線路沿いはネオンの華やかなラブホテルが密集、明確な目的があって行く人以外には縁がない場所になっているのである。
実は歴史、文化もあるまち、根岸
とはいえ、猥雑なだけのまちというわけではない。ことに鶯谷駅外側にある根岸エリアは江戸時代には根岸の里と呼ばれ、富裕な町人たちが別宅を構えた土地である。
明治以降でも正岡子規や書道家・中村不折、昭和の爆笑王と言われた落語家・林家三平などが居を構えており、かつては花柳界もあった。
江戸時代から続く豆腐料理の老舗「笹乃雪」や1925(大正14)年創業の洋食「香味屋」などが健在でもあり、風流な豊かな趣もあるまちなのである。
一方で実際に歩いて見ると分かるのだが、この一画には戦災で被害を受けなかった地域もあり、路地、隘路が多く残されている。そのためもあり、古い木造家屋、見るからに空き家という家も。
防災上の懸念があるため、少しずつ区画整理はされてきてはいるものの、防災広場根岸の里が大きな成果として挙げられている程度で、まち自体の骨組みは大きく変わってはいない。逆に言えば、まだまだ変化の余地があるまちというわけだが、実際、通り沿いを中心に少しずつ、動き始めている。
この10年で一般客向けのホテルが増加
分かりやすいのはラブホテルではなく、ビジネス客あるいは観光客向けのホテルの増加である。ここ10年ほどでカンデオホテルズ上野公園(2010年)、オークホステルZEN(2014年)、東京ツーリストイン(2015年)などが誕生。
ほど近い入谷ではゲストハウスブームの先駆けとなったtoco.の開業も2010年である。また、2020年1月には言問通り沿いに新たに地上15階全169室の「LANDABOUT(ランダバウト)」も誕生している。
元々、駅前のラブホテル街は上野駅に近いということから、出稼ぎや集団就職で上京してきた人たち向けのごく普通の旅館街だったそうで、それが時代とともに変化してきたものであり、現在はその道を逆に戻りつつあるというところだろうか。
2020年開業のホテルは地域再活性化も意図
特にその傾向を印象付けたのは前出の新しいホテル「LANDABOUT(ランダバウト)」である。場所は第一勧業信用組合鶯谷支店移転後の跡地で、駅から山手線外側に坂道を降りてくると正面の言問通り沿いという視認性の高い、分かりやすい立地である。
同信用組合は売却時に地域を再活性化するプロジェクトであることを求めたため、住居ではなく近隣のみんなが利用できる施設、ホテルということになった。
ただ、ホテルというだけでも地域の活性化には寄与しない。そこで工夫されたのがホテル1階。地域の人たちに開放し、玄関を入ったすぐ右手にカフェラウンジ LANDABOUT Tableが作られているのである。ホテル宿泊客・地域の人が入り交じり、軽く一杯飲んで、つまみながら交流をするというような使い方をするにはぴったりの空間である。
さらにその奥にはイベントなどに利用できる音響装置などを備えたスペースが作られている。こうした場所を利用して、地域の人たちがこのホテルを利用するようにということであろう。
1階が地域に開かれた空間になるため、フロントは2階に設置されており、LANDABOUT=環状交差点(Roundabout)由来の名の通り、丸い受付カウンターが印象的。壁には地域のマップ、地元の品などが置かれており、宿泊者と地域を取り持つ仕組みを考えていることも分かる。
3階以上は客室で床は小上がり、その上に低いマットレスを置いた、どことなく和室を思わせるような作りが印象的。一部シャワーブースの客室もあり、料金は一人約4000円~※とリーズナブルな設定になっている。
※価格は季節・曜日によって異なる。
事業主体は中古住宅の再生、流通を中心とする不動産会社、㈱インテリックスで、そこに隣接する谷根千地区などでリノベーションによるまちづくり(設計・飲食運営・宿泊施設運営)を手がけるHAGI STUDIO、インテリックスのホテル事業運営を担うベステイトが加わる。個人的には谷根千を中心に人が集まる面白い施設を運営してきたHAGI STUDIOがここで何を見せてくれるかに期待したいところである。
ラブホテル業界の変化が鶯谷にも?
さて、前述したように通り沿いを中心にホテルが増加、その背後には古い木造住宅、空き家などが残された地域である。上野駅の隣という立地を考えれば、宿泊ニーズはまだまだあるはずで、使われていない建物が多い土地柄を考えると変化の余地はある。
そして、もうひとつ、これから数年後の変化が気になるのがラブホテル街である。ここまでラブホテルと書いてきたが、業界はこのところ、イメージアップを意図してレジャーホテルという言葉を使ってきている。そのレジャーホテルには2種類がある。
ひとつは風俗営業法で規定された「4号営業ホテル」。このタイプのホテルは誰にも会わずにチェックインや精算ができるシステムなどを備えた施設で、店舗型性風俗特殊営業と規定され、現在建てられている物件については良いものの、新規に建設することはできない。
個人あるいは小規模な会社での営業が多く、改装する場合などに金融機関から融資を受けにくいため、老朽化から廃業せざるを得ないケースもあり、風営法が改正された2011年以降、減少傾向にある。警察白書によると2011年の6259店から2016年には5670店となっている。
もうひとつはフロントを備えており、スタッフが客に対応、レストランなども備えたもので、4号営業ホテルとは異なり、秘密めいた雰囲気は薄い。そのため、女性が主導することが多い若いカップルではこうしたホテルの利用が多く、不倫カップル、プロユースの場合には4号営業ホテルを利用するケースが多いと推察される。
さて、そのうち、鶯谷周辺に集まっている大半は4号営業。古い物件も多いようで、今後、これがどうなるか。
ラブホテルは一般的なホテルよりも利用料金は比較的安価ながら回転数が多い。宿泊の場合が1日1組であるのに対し、ラブホテルは2~3回転はする。人気の店ではそれ以上ということもあるそうで、利益率は高い。最近ではこうした施設に偏見のない外国人旅行者の利用も増えているという。
とはいえ、経営者、建物ともに高齢化、老朽化は進んでいるはずで、他の施設に抗して行くためには設備投資が必要。それができるかどうか。
地域の情報に詳しいHAGI STUDIOの宮崎晃吉氏によると、鶯谷エリアには地元の繋がりが強く残っており、ホテルも含め、不動産情報はなかなか外に出にくいところがあるのだとか。それを考えると簡単に情報、物件が手に入るとは思えないが、このところの急速な社会の変化を考えると、変わらないこともなかろう。これからのまちがどう変わるか、興味を持っておきたいところだ。
健美家編集部(協力:中川寛子)