住宅、オフィス、店舗といった従来の枠を超え、不動産の使い方、貸し方が多様化し始めている。そうした大きな流れの中にあって、もっとニッチだが確実にニーズのある貸し方がある。
いくつかあるうちのひとつにアトリエ賃貸という貸し方がある。その名の通り、アーティストにアトリエとして不動産を貸すというやり方で、その貸し方が新しい価値を生み出しつつある現場を見てきた。
物置になっていた部屋に可能性を見た
その物件があるのは東京メトロ南北線赤羽岩淵から歩いて10分弱。新河岸川に面した場所に電気抵抗合金線を作る工場があり、その工場を挟むように2棟のマンションがある。オーナーはその工場の経営者で、工場と2棟のマンションは同じ敷地内にある。
マンションはいずれも築40年超。今時はあまり好まれそうにない古い建物である。トイレには温水洗浄便座が付けられず、洗面所にはお湯が出ない。といっても選んでもらえる程度まで手を入れるとなるとそれなりに費用もかかる。だが、そこまでの予算はなく、なんとか現状のままで貸したいと管理会社に相談した。
相談を受けたハウスメイトマネジメントの伊部尚子さんが現場を訪れ、オーナーに敷地内を案内してもらっているうちに、相談されているのとは異なる、不要な品が押し込まれ、倉庫となっている部屋が複数あることに気づいた。
「予算的に最低限のリフォームしかできない場合、その部屋だけで価値を上げることはできません。でも、建物内、敷地内にその部屋の価値上昇に繋がるものがあるとしたらどうでしょう。その部屋だけを貸すのでなく、おまけを付けて貸すといえば分かりやすいでしょう。
しかも、そのおまけが本体である部屋以上に魅力的だとしたら。使われていない部屋を見てぴんと来ました」。
その貸し方がアトリエ賃貸である。製作しているものにもよるが、アーティストには作業のための場が必要である。理想をいえば住む場所+作業場がセットになった空間があれば良いのだが、世の中にはそうした物件は現状、ほとんどない。
であれば、物置になっている部屋をアトリエとして、住居とセットで貸したらどうだろうと考えたのである。
「特にこの物件が魅力的だと考えたのはお隣に工場があり、そこで音が出る作業が行われているため、ある程度なら音を出しても良いという条件があったことです。住宅街の中の不動産では音が出せないことが多く、作業に制約が出ます。
ところが、ここは音が出せる、これはアーティストにとっては魅力的な条件のはずと思い、アトリエ賃貸を手掛けるワクワク賃貸の久保田大介さんにすぐ連絡を入れました」。
住宅を借りるとアトリエ、作業保管スペースが付いてくる!
コンセプト賃貸を紹介するWebマガジン「ワクワク賃貸」を運営する久保田大介氏は2021年からアトリエ賃貸推進プロジェクトを進めている。
記事としては2018年からアトリエとして使えるスペースの付いた賃貸物件を紹介しているのだが、同種の物件を紹介し続けているうちに、アトリエ賃貸を借りたい人のニーズの高さに気づいた。現在は246人以上がアトリエ賃貸の空き待ちをしている状態で、ある意味、見込み客は多くいる。だったら、積極的にアトリエ賃貸を作っていこうと考えたのである。
ちなみに他のコンセプト賃貸も併せると空き待ち登録者は全体で583人。もうすぐ600人に迫る勢いで、これだけの見込み客を抱えているのは大きなメリットだ。
相談を受けた久保田さんも音出しが可能な点、共同で使えるアトリエの存在に可能性を感じた。
そこですでに募集が始まっていた空室2戸(約53㎡3の3DK)をアトリエとしても利用可能な住戸とし、さらにその部屋を借りた人たちは当初、貸すことを想定していなかった物置部屋を共同で使える、音を出しても良いアトリエ、作品保管スペースとして無償で利用できるものとして貸し出すことに。
アトリエ、作品保管スペースは2022年12月に募集をかけた時点ではともに不用品だらけ。アトリエは幅約6m、奥行き約10mの長方形の部屋で面積は60㎡ほど。トイレ、ミニキッチンはあるものの、それ以外はもう使わない部品を積んだ棚などが置かれている状態。
作品保管スペースも物置になっていていろんなモノが積まれ、そもそも、その部屋にたどり着く通路にもモノが山になっており、普通の人であればその状態だけで及び腰になりそうなもの。不用品はオーナー負担で処分するという条件はあったものの、撤去された後の状態はその時点では分からない。
だが、それでも当初予定のままの賃料(10万5000円、11万5000円に共益費5000円。該当する部屋は3階、5階でエレベーターがなく、和室がそのままだったため、5階は安い)で2室が決まった(礼金、敷金は各1カ月ずつ)。それまでずっと決まらなかった部屋におまけを付けた途端に決まったわけである。もちろん、アトリエ賃貸推進プロジェクトに空き待ち登録をしていた人達からの申し込みである。
あの荒れた部屋が生まれ変わった
入居から半年ほどが過ぎ、アトリエを公開するイベントが開催されると聞き、伊部さん、久保田さんと一緒に訪問した。Id108/イドイチマルハチを名づけられた拠点を利用している入居者は現在お二人。
一人はキンミライガッキ現代支部という新しい楽器を製作してLIVEや体験展示、販売を行うプロジェクト等を主宰するGakkiさんで、もうお一人は家具やインテリア、グラフィックのデザインなどを行うGarmentekhneを中心に幅広い活動を行う曾原翔太郎さん。
アトリエは残置物が無くなり、置かれていた棚は壁際に移動。そこにはお二人が使う材料その他が置かれており、中央には展示スペースが出現していた。汚れて使うのが憚られたトイレはきれいになってもいた。それ以上に驚かされたのは彼らが手作りしたというエアコンや地下への防音扉。
「お付き合いしていくうちに気づいたのですが、普通の入居者にはその方がやらなくて済むようにもろもろお膳立てをしてあげる必要がありますが、アーティストの方々に対しては全部用意するのではなく、自由にできる状況をそのままにしておくほうが喜ばれるということ。あれをやったらダメ、これはするなとルールで縛りたくなるかもしれませんが、ここのオーナーさんは若いアーティストのやりたいことに前向きに協力、それが彼らの力を引き出しています」と久保田さん。
アーティストの自主性、能力を信じて任せることで空間が大きく変わるというのである。
エアコンは古い業務用をGakkiさんがネットオークションで購入、外に置いて冷気を1階、地下1階に送るように整備した。
地下は貸すことになったところで存在が判明、おそるおそる下りてみたところ、こちらも棚などが詰め込まれていた。だが、地下なら音を出しても外には漏れにくい。そこで1階の床部分に防音扉を自作で設置、オープンイベント時にはDJと自動演奏楽器作品を交えたライブパフォーマンスを開催することになったという。
1階、地下階ともに大きな鉄製の棚が置かれており、それを外に出すためには棚自体を切断するなどたいへんな作業が必要になる。だが、彼らはそれを1階では棚として使い、地下階ではテーブルやDJブースに転用するなど言われなければ分からないほど自然に活用していた。
アーティストが新しい価値を生む
加えてアトリエの扉は研磨加工で雰囲気が変わっており、入口にはアーティスティックな照明のある掲示も。今後、いかにも工場といったそっけない雰囲気の建物入り口部分を彼らに手を入れてもらうという計画もあるそうで、費用ではなく、センスで建物の顔が変わっていくことになれば面白い。
Id108/イドイチマルハチのコンセプトはGakkiさんが、これまでの自身の活動経験から打ち出したもの。「パフォーマー」と「ものづくり」という一見異なる活動分野を融合することに上下の空間を用いて挑戦しているのだ。
1階は普段は工房・製作場所として使用。地下階はアーティスト管理のもと、撮影や実験ができる場所として貸し出しを行っていくそう。地下で生まれたアイディアや必要なものを地上で形にできるというコンセプトで自分たちの制作活動の発信だけでなく、さまさまな製作業務や実験利用を受け付けている。
そして、曾原さんもまた、別の空間で自身のコンセプトを打ち出しているという。
「当初、作品の保管スペースとして想定していた部屋は現在曾原さんの手で改修中。ギャラリーにする計画です。都心からは距離のある、敷地内でも分かりやすいとは言い難い部屋ですが、聞いてみると建築学生は学外のギャラリーで展示を開くことが就活に効果的なのだそうです。
ところが、都心一等地のギャラリーを利用しようとすると大金がかかりますし、手頃に使えるギャラリーは意外に少ない。そこを意識して若い人たちが使いやすいギャラリーにするという計画。どの世界にも外の人が知らないニッチなニーズがありますが、そうしたものを取り込むことで使えないと思っていた場所に価値が生まれることもあるというわけです」と久保田さん。
ちなみにアトリエ、今後ギャラリーになる部屋については無償で貸していることから賃貸借ではなく、それぞれ別途に使用貸借で契約。管理会社は入っていない。普通に住居を賃貸借する場合と比べ、イレギュラーな貸し方にはそれに合わせた契約、管理にする必要があるので、その点には注意が必要だ。