2018年に発足した一般社団法人 不動産総合戦略協会(通称:RESA,Real Estate Strategy Association,呼称:リーサ)が2023年度第1回目となるセミナーを開催した。
同団体は不動産に関わる情報発信、政策提言、不動産コンサルタントの人材育成、不動産業界における交流、協業の場作りを目標に設立されており、特定の企業の枠に収まらない第三者的な立場で活動をしていくという。

セミナー講師は2000年に日本初の不動産投資本を出し、日本の不動産投資をリードしてきた不動産コンサルタント会社CFネッツの前代表取締役・倉橋隆行氏。同年には倉橋氏の著書「アッと驚く不動産投資」に続き、伝説の一冊「金持ち父さん、貧乏父さん」が出版され、この年以降、日本の不動産投資熱は一気に高まったのである。
その倉橋氏がこの16年ほど取り組んでいるのが神奈川県三浦市三崎の活性化。セミナーでは紆余曲折を経て稼働率77%を超す宿を経営、市や京浜急行などと連携して地域活性に取り組んでいる状況、そこから学んだ点などについて語られた。その一部をご紹介しよう。
大失敗からスタートした地域活性
倉橋氏が三崎に関わるようになったのはささいなきっかけからだという。
「銀座に本社があり、よく築地のある店に通っていたのですが、ある日突然、懇意にしていた板前が辞め、しかも、その後に若いオーナーらしき人物に不快な思いをさせられるということがありました。
それでその店には行かなくなったのですが、そこで出していたのが三崎のマグロや三崎近海でとれる魚。だったら、直接三崎に行けばいいと三崎に通うことになり、店先で売っている魚を隣で捌いて食べさせてくれるいい感じの店に出会いました。
ところが、ここでも、その店の店長らしき人が辞めることに。そこで物件を探してきたら店を出してやると言ったのですが、なかなか良い物件が見つからない。そうこうしているうちに地元の不動産会社から紹介されたのが城ヶ島大橋の近くにあるホテル。
元々は芸能人が集まって遊ぶために建てたもののようで、うまく行かなくて売りに出た。立地も建物も良く、それを購入したのが三崎に関わりだした最初です」。
それが今も経営している城ヶ崎遊ヶ崎リゾート、現在の遊ヶ崎ベースである。

物件自体は良いものが手に入ったが、ここで最初でしかも最大のトラブルに見舞われることになった。マネージャーと飲食を任せようと思った例の店長らしき人物は嘘つきだったのだ。なにしろ料理ができない。さらに施設オープン時に彼が招待したという40人は誰一人姿を現さなかった。結果的に料理を無駄にできずに近くの人たちに声をかけてきてもらった。嘘つきにもほどがある。
また、彼が紹介してくれた他の料理人を入れたものの、今度は料理はできるが手が遅い。
さらに施設内にカウンターを作り、雇い入れたバーテンダーも事件を起こす始末。倉橋氏は地元でうまくやっていくために彼に紹介されて三崎のあちこちの店に行ったのだが、それが裏目に出た。実は彼は地元での嫌われ者だったのだ。
そもそもよそ者である上に、地元の嫌われ者と組んでいると思われ、倉橋氏は地元から排除されることに。その経験から、地域に入っていく時には最初に付き合う相手はよく見ないといけないと倉橋氏。
「地域再生では人間関係が肝。そもそも、最初のうちはよそ者扱いで風評が飛び交いますし、地元の人はよそ者が言うことよりも地元の人の言うことを信用します。それ以外にも注意すべきことは多く、しかも、その多くはメディアが書かないことばかりです」。
地縁があって始めるならいざ知らず、知らない土地に入るのであれば注意したい。
地価が上がれば最終的にはプラス
彼らには辞めてもらうことになったが、それで問題が解決したわけではなかった。

「『三崎港蔵』という日本料理店を出したときの話。20人ほどでやってきて飲食。その後で地元で不味い、遅い、高いなどと悪口を言いふらす、計画的に足を引っ張る輩がいたのです。店に来てわざと長居をする人、高いと文句を言う人。こういう人がいるから若い人達が地方に行ってもいつかないんだろうなと思いました」。

幸い、同社は家賃収入があり、三崎の施設が赤字でもなんとか続けることができた。板前は料金を安くして居酒屋にしましょうと言ったそうだが、倉橋氏はその提案を却下。リゾート地に来る富裕層を意識、ちゃんとしたものを出し続けた。
その状態は1年ほど続いたが、たまたま法事で利用した地元の人が風評は真実ではないと言い回ってくれ、事態は好転し始める。
こうした経験から倉橋氏は地域では利益追求ではない姿勢を見せる、地域の商工会議所などに加入、住人の人達とも交流を図る、その他、独自の地域再生の進め方を会得していったという。
「地域では街をどうしたいのかを語ることが大事。それを行動で示すことも大事です」。
その例として倉橋氏が挙げたのは花火大会。花火が見えるところに家を買い、ジャグジーまで作ったところで、花火大会が中止に。倉橋氏が予算を寄付すると言っても消防、警備の問題があると商工会議所はうんと言わない。だが、花火大会がないと子供や孫たちが帰ってこないと地元の高齢者は嘆いている。
それをなんとかしたいと考えた倉橋氏は中止から3年後、夏祭りの最後に打ち上げるという形で花火を復活させることに成功する。そのために毎年100万円位ずつ出費していたというが、それで地元の皆さんが協力してくれるようになったとも。商工会議所のトップも倉橋氏を応援している。
「弊社は物件を借りるのではなく、買って増やしています。そのため、収益が上がらなくても地価が上がればプラスになり、銀行に対しても担保力が上がります。実際、海沿いでは地価は上がっています」。
三崎の魅力は食、働、楽の3ポイント
シャッター街になっていた商店街ではとりあえず10店舗(最終的には11店舗)を買い、自社も含めて店を開いた。三崎までは京急三崎口駅からバス利用で社員の通勤に不便なため、店を開ける度に地元に社員のための寮が必要になる。そこで住宅も買った。
さらにそこから観光の領域に踏み込んだのは不動産投資では下りない融資が観光になると下りるためだ。
「三崎では商店街の中に古民家(古商家)が多く残されており、活用しやすい。にも関わらず、金融機関は古い建物だとお金は貸しません。解体費用を引いた更地価格でしか査定しないのです。
ところが、地域活性化を掲げた観光事業の場合には土地建物は評価され、リフォームの費用も出る。このやり方なら三崎の古い建物を残して未来に繋げていけます。そこでミウラトラストという会社を設立し、三浦市、京浜急行、横浜銀行、地域経済活性化支援機構などとの連携ができるようになりました」。
観光という観点で見ると三崎は他にない魅力があるという。
「三浦市の潜在的能力の優位性を検討してみたところ、三毛作が可能な農業、魚種が豊富な漁業があるなど一年中食材が確保できる食の魅力があり、羽田空港から車で約一時間など働くという観点でも有利、ロケ地として知名度があり、マリンレジャーも含めて総合的に楽しい、ということで私はこの3点を食働楽としてまとめ、三崎のキーワードとして推進しています」。
その中でも訪れる人にとってもっとも魅力的なのは食。倉橋氏は2011年度以降、三崎のレトロな雰囲気の商店街をそのままテーマパーク化して活用しようというプロジェクトを進めているのだが、食をブランディング、雇用に繋げるなどさまざまな展開を計画してきた。
そのうちのひとつ、前述の蔵造りの和食料理店「三浦港蔵」は2015年にミシュランガイドに掲載されたほど。計画は着々と前進している。
今では三崎スィーツとして全国的にも知られるようになったミサキドーナツは三崎が本店で倉橋氏が創業支援を行い、育って行ったもの。MFクラブというスポーツクラブも三崎が本店で全国で10店舗近く拡大している。こうした形で全国区のブランドが生まれてくれば三崎の認知度も高まっていくはずだ。
古民家を利用、4軒の分散型ホテルを経営

近年力を入れているのが古民家を再生した宿。現在は古民家の旅宿、酒宿山田屋、江戸の蔵宿、本陣の4軒があり、総称は三崎宿。いずれも築100年以上、江戸の蔵宿に至っては築240年ほどの古民家という。
「これまで三崎には観光客が来ても泊まるところがなく、土地を買って新築しようと考えると収支が合わない。でも、この町には古い建物がある。そこで古民家を活用、簡易宿泊所としてフロントは1カ所、分散型ホテルとして始めました」。

フロントになっているのは酒宿山田屋。ここは街の入口にあり、ランドマーク的な存在だった酒屋。それが売却されることになり、建売住宅になっては困ると倉橋氏が購入。しばらくは営業を続けてもらっていたが、閉めることになって2階を宿泊施設、1階を酒屋兼フロントとして使うことになった。
面白いのはこの酒屋で買った酒は宿に持ち込めるということ。普通、ホテルの冷蔵庫に置かれている酒は酒店価格より高くなる。だが、ここでは酒店価格のまま、持ち込みができて好評だという。

「古民家再生でしくじるのはトイレその他の水回りに手を入れないというやり方。衛生設備はきれいにしないとダメ。それから畳に布団は喜ばれません。ベッドにして家族連れには布団を追加するようにするのが良いでしょうね」。
セミナーでは凝った内装、海の見える立地の良さが伝わる写真が何点も紹介されたのだが、そのうちで会場の一同がなるほど!と頷いたのが調度品の話。
宿泊施設内には美術館級の焼き物などが飾られているのだが、必ずしもすべてがそうしたものばかりではない。だが、300万円、400万円という焼き物の隣に、きちんと額装、ガラスケースに入れられた掛け軸があったら、それが5000円の品と思う人はいないと倉橋氏。投資もそうだが、メリハリをつけることの大事さに一同、感心したものである。

ちなみにこの宿は旅館で22.8%、リゾートホテルで27.3%、ビジネスホテルで44.3%、シティホテルで33.6%といわれる一般的な客室稼働率を大きく上回る77%超で稼働しており、大きな収益を生んでいる。
三崎にCCRCをという計画
最後にこれからの話が出た。倉橋氏は三崎にCCRCを作ろうと考えている。CCRCとは「Continuing Care Retirement Community」の略称で、高齢者が健康な段階で入居、終身暮らすことができる生活共同体を指す。安全な住まい、医療、介護に加え、楽しみもある場として三崎はぴったりだと倉橋氏。
三浦半島は岩盤でできており、地震に強く安全な場所。城ヶ島が防波堤となり、津波の心配もない。美味しい食、海の眺望や遊びに恵まれている。住宅、医療についてはすでに土地を購入、医療機関、住宅を建設する予定だという。
それ以外では最寄り駅からのリムジン送迎サービスを用意、三崎宿と連携して宿をゲストルームとして使えるようにしたり、前述のジム+接骨院というサービスを提供するMFクラブと提携したりするなどさまざまな付帯サービスを用意するつもりだという。
「宿もそうですが、地域を変えるなら富裕層を狙うべき。来訪する人の数を目標にするのではなく、どれだけ地元での消費に結びつけられるかを考えるべきです。
ただし、富裕層を呼ぶためにはきちんと資本を入れないと難しい。最初は自己資本を投資、あるいは投資家のパートナーと始めるなどして、徐々に実績を積んで融資を受けられるようにしていくのが現実的でしょう。
また、古民家利用は歴史を含めて買うようなもので、新しいものを建てるより安く、愛されるものになります。三崎宿の宿泊客の中には全室泊まってみたいと何度も訪れる人がいるほど。その魅力を使わない手はありません」。
三浦市では倉橋氏の他にも安田造船所が三浦市で海業振興のための用地活用プロジェクトを計画していたり、旧城ヶ島京急ホテル跡地を活用して高級温泉旅館「ふふ城ヶ島」(仮称)が予定されていたりと変化に向けての胎動が始まっている。
三浦市は三浦半島の4市1町の中で最も高齢化率が高く、人口減少の度合いも高いが、倉橋氏が目をつけたように多くのポテンシャルを秘めている。それをどう高めていくか。
多くがうまくいっていないと言われる地域活性化だが、倉橋氏のような成功例もある。そこに学べば成功への道も開けるのではなかろうか。機会があれば、ぜひ、三崎を訪れ、成功に学んでみて欲しいところである。