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【新連載】どっぷり不動産業界出身の33歳ふじばやし、健美家コラム始めました!

富治林 希宇さん_画像 富治林 希宇さん 第1話 著者のプロフィールを見る

2023/4/17 掲載

今回、健美家コラムとして初めて書きます。京都府出身で平成元年生まれの33歳、富治林希宇( ふじばやしねがう )です。

もともと不動産管理会社にて清掃や電気工事などの現場作業から始まり、建物管理( BM )、運営( PM )、投資・資産運用( AM )を経て、現状は不動産管理 × ITのCOSOJI(※1)を創業・運営しています。

【 経歴( 現場→管理→投資 )】
経歴:現場作業→建物管理( BM )→運営( PM )→投資・資産運用( AM )

【 COSOJI( マッチングサービス )】
COSOJIのマッチングサービス

(※1):COSOJIは “不動産管理の現場作業( 清掃や草刈り、消防点検 )” と “地域作業者の方々” が直接つながるマッチングサービス。直接のマッチングに加え、各地域及び依頼者様に分散された業務を集約・最適化後、再度現場に依頼することで、「 安く 」「 早く 」「 適切 」なCOSOJI独自の取引が可能。

その他に、若手限定の大家の会や賃貸業、執筆( 過去 )をしています。あと、芸人をめちゃくちゃ本気でしていました( こちらは30歳で一旦終了 )…。

このコラムでは、経験に伴う不動産の『 現場作業・管理の実態 』や、起業の助けとなった『 投資( 賃貸経営 )方法[ 地方×築古×再生 ]』、『 大切にしている行動や考え方 』を中心に書いていこうと思います!

第1回目の今回は、自己紹介と僕が不動産投資に行き着くまでのストーリーを紹介します。

■ ド田舎出身で人のつながりや建物の魅力を感じ不動産業界へ

まず僕の名前について。富治林希宇と書いて「 ふじばやし ねがう 」と読みます。珍しい苗字は三重県伊賀市からで、名前も珍しいですが父:浩( ひろし )、母:久美子( くみこ )というよくある名前の両親から生まれています(苦笑)

僕が生まれたのは京都の中でもかなり田舎の宇治田原町という町で、小学校まで山を2つ超えて1時間かかるような超田舎。「 宇治田原町 」でGoogle画像検索するとでますが、山の緑、茶畑の緑、緑・緑・緑! 緑一色なんです。

あるのはのどかな自然の風景。そんな町で育ち、町の人と人のつながりや、古い建物の魅力を感じ、『 街づくり 』に関わる仕事がしようと、建築の道を歩み始めました。

【 宇治田原町の街並み 】
宇治田原町の街並み(出典:KYOTO SIDE)
出典:KYOTO SIDE

宇治田原町の街並み(出典:TRIP EDITOR)
出典:TRIP EDITOR

大学は立命館大学建築都市デザイン学科を卒業。新しいものを作るのではなく、「 今あるものの価値を最大限に活かしてみたい。眠っている価値を復活できると面白い。またそんな “街づくり” に関わりたい 」と思い、総合不動産サービスを展開する株式会社ザイマックス( 以後X社 )に入社しました。これが今に繋がる大きな選択でした。

■ 憧れの不動産業界に入ったものの最初はトイレ掃除から

X社は独立系大手企業で比較的入社が難しいとされていて、またオフィス、商業、宿泊、住宅、倉庫など幅広い不動産の投資・運営・管理・売買など大規模な仕事が多くワクワクして入社しました。

ただ入社1年目の自分がそのような業務につけることはなく( ほとんどの同期はそのような大規模な部署に配属でしたが )、最初に配属されたのは、不動産管理の現場でした。そこでは、BM業務(※2)や現場作業として1日中消火器点検やトイレ掃除、誘導灯のバッテリー点検や毎晩の見回りなどをして時にはビルに泊まり込み電球交換をしていました。

【 現場作業のイメージ 】
現場作業のイメージ-1 現場作業のイメージ-2

(※2)BM業務:ビルマネジメント。日常の清掃、設備の管理や点検、防災・防火設備の管理など建物全体に関わる現場作業の管理・統括

一方、新入社員でも本当に学歴の良い同期たちは、最初から本社採用で、経営企画や投資に携われるのです。まさにキラキラと洗練された仕事に見えました。同期ともたまに飲みに行くのですが、すごくかっこいい投資や空室募集戦略等の話をしていました。

そのときの僕はというと、電球を替えて、トイレをゴシゴシ磨いて……。
今でこそ現場の大切さは誰よりも理解していると思いますし、あの経験がなければ今の僕は無いでしょう。ただ当時の僕には、周りの話を聞いて焦りや劣等感を突きつけられる思いがありました。

■「 不動産は変えられる( 価値を吹き込める )」ことを知った地道な仕事

現場にいたときはとにかく頑張って、2年目に名古屋に異動になりました。ここではBM業務に加え、PM業務(※3)の仕事でした。

(※3)PM業務:プロパティマネジメント。不動産所有者や投資家から委託を受けた投資対象物件を運営し統括すること。具体例として、契約締結業務、賃料の回収、滞納督促、テナント誘致やクレーム対応、投資家へのレポーティングや収益改善など。

本社の東京ではスタッフの人数が多いため分業化されており、空室募集( リーシング )業務を行う人は、工事手配はせず、工事手配をする人は、投資家へのレポーティングや収益改善の提案はあまり行っていません。それが地方( 支店 )では、人数が少ないため全部自分でやらなくてはなりません。

ここ名古屋の3年間は僕にとって本当に大きな経験でした。
家賃を滞納されているうどん屋さんの連帯保証人の家に行って督促したり、学習塾のエアコンが使えなくなったときは塾生さんみんなにカイロを買って配ったり、大雨の前日には管理物件に土嚢を積みに行ったり、管理している回りの建物に「 うちの建物に入居しませんか?」とひたすら飛び込んだり……。

すごく大変でありながら、がむしゃらになれば結果を出せると感じた本当に良い期間でした。

例えばリーシングをかなり苦戦している物件も受け持ちました。ラブホ街にある、ラブホではないオフィスビルで、他の誰が取り組んでも空室続きだった物件です。ラブホ・ラブホ・ビル・ラブホみたいに、前後ラブホに挟まれたところで、オフィスの窓からラブホの窓が見えるんです。

【 担当オフィスビルがあった通りのイメージ 】
担当オフィスビルがあった通りのイメージ

窓ガラスからホテルの窓が見えないよう間取りを変更したりガラスにフィルムを貼りましたが、それでも空室のままでした。それを僕は、ここから満室にすることができました。

どんな魔法を使ったんだと周りから聞かれましたが、やったのは「 泥臭い営業 」です。愚直に仲介さんを回ることでした。

当期の目標として事務所の壁に掲示された紙がありました。そこには「 仲介巡り100人!」と書かれているのです。1人あたり100人の仲介さんに会いに行って、仲介のお願いしてこいということです。……本当に効果あるんか??と正直思っていました。

【 オフィスの壁にでかでかと貼られた( 約1.5m×1.5mサイズ )張り紙イメージ 】
オフィスの壁にでかでかと貼られた張り紙イメージ

僕も半信半疑ではありましたが、他に方法も思いつかないので、その目標の通り100人の仲介さんを回りきったんです。むしろ、毎週仲介さんと飲みに行ったほど。仲介さんに来ていただき10対10の合コンなどもしていました。そうして顔と名前を覚えてもらうのです。

このように営業を重ねるうち、物件を探しているお客さんから仲介さんに相談が来たら、すぐに自分の顔と物件を思い出して連絡がもらえるようになりました。 そうしたら本当に満室にすることができたんです。

結果、その年は会社の年間MVPを頂きました。理由は一番空室を埋めたことでした。そこでようやく不動産の面白みに気付けたような気がします。意外に愚直にやっていけば成果が出る業界なんだ、泥臭いことこそ不動産の仕事の醍醐味だと学びました。

その他にも大型工事により建物の付加価値をUPしたりと、「 困っている不動産でもなんとかできる 」と思った実体験でした。そういえば、先日お世話になっている仲介・管理会社さんが「 空室を埋められない物件はない 」とおっしゃっていました。

■ 不動産に数字が加わることで世界が変わった。超ハードだけど最高に楽しい投資業

そうやって3年名古屋でがんばった後は、東京に呼んでもらいました。東京での業務は、これまでと比較にならないくらいの大きなビルや商業施設の運営・管理でした。例えば、誰しもが知っているような大手ファストファッションや大企業が入居するビルの運営です。

ただ、東京は分業が進んでいて、業務が標準化されています。そこで悩みました。
「 僕が憧れていた都会の洗練された仕事というのは、僕じゃなければできない仕事じゃないんだ 」と。

そこで目の前にある不動産の運営・管理だけでなく、仕入れから出口まで全部やりたいと思いはじめました。これまでの経験で「 不動産はバリューアップできる 」と肌で感じてはいましたが、それが「 金額 」として実際どのくらいの価値が上がったのか知りたい、そこに関わりたい、という思いが強くなりました。

そこで、商業施設や宿泊、住居施設まで全部の不動産タイプを取り扱える株式会社ファーストブラザーズ( 以後F社 )に転職しました。F社は投資運用事業や投資銀行事業をメインとする、金融と不動産のプロフェッショナル集団の会社でした。

ここから「 投資 」という新たな挑戦と学びが始まりました。
これまで現場で泥臭く汗まみれになりながら仕事をやってきて、この転職を機に9時5時のホワイトな働き方に変わりました!・・・なんてことは全然ありませんでした(笑)。

むしろこれまで以上に、人生でいちばん働きました。終電過ぎの深夜まで。今ではないかもしれませんが、当時は深夜まで先輩たちとアドレナリンと一緒に働いていました。けどなぜか嫌とは全く思わず、本当に刺激的で楽しい日々でした。

それでも、人生で初めて、働きすぎて蕁麻疹がでました(苦笑)。それから今も定期的に病院に通っています。仕事のストレスに自分では気付かないのに、体の方だけが反応するという異常状態。とにかく働きました。

でも、それが刺激的でした。チームでいい物件を探して、半年~1年半ぐらいかけてバリューアップしていく仕事。これまでの運営・管理の経験に加え、すべてを数字で考え判断する。

チームや一人で数千万~数億、時には数十億の取引をする( もちろん会社の後ろ盾があって )。立ち退き料をお支払いして退去いただいたり、外壁をきれいにしたり、全空を満室にしたり、建物の床をぶち抜いたりなど。

今までは肌感覚や投資家の判断の元、建物の運営・管理をしていました、それらをすべて数字( IRR、COC、インカムゲイン、キャピタルゲイン、レバレッジ、イールドギャップ )で判断しました。現場の経験と数字がミックスして不動産の面白みが何倍にもなる感覚を味わいました。

■ 自身で不動産投資を始めようと思った最初のきっかけ

これまで、不動産に関する様々な仕事の中で、現場を経験し、管理( BM )や運営( PM )を行い、投資( AM )を行い、不動産における下流~上流に携わりました。

ここで1つの疑問を感じました。「 人のお金でやっていて、本当に学べているのだろうか?当事者意識が持てるのだろうか?」と。そこで、これまでの経験から自分でもやってみよう! 規模は違うけどやることは同じだ! と思い、自身での不動産投資の活動がスタートしました。

これが僕が不動産投資を始めた第一歩でした。結果、頭でっかちで全く使えない日々が続きました…この話は次回以降で。

と、サラリーマン時代に不動産投資を始めるまでの経緯を振り返ってみましたが、振り返ってみても大変だったな~と思いました。よく「 現場~投資まで全て知っていますね!」「 たたき上げすごいですね 」といわれますが、不動産は本当に奥が深くドラマが多く日々新しい気づきだらけです。

また、自分がすごいとかはなく、地道にこつこつ努力すると新しいきっかけがやってくるのだと思っています。

次回は、いざ自分で始めた不動産投資での失敗談や、それをもとにした方向転換などについて書きたいと思います。
お楽しみに!

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※ 記事の内容は執筆時点での情報を基にしています。投資等のご判断は各個人の責任でお願いします。

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プロフィール

富治林希宇さん

富治林希宇さんふじばやしねがう

大家(地方×築古×再生)
IT会社経営

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経歴
  • □1989年
    京都府宇治田原町生まれ

    □2012年
    立命館大学建築都市デザイン学科卒業

    □2012年(22歳)
    株式会社ザイマックス入社(総合不動産会社)

    □2017年(27歳)
    株式会社ファーストブラザーズ入社(投資会社)
    初めて物件購入

    □2018年(28歳)
    1980年以降限定の大家の会をスタート
    -購入物件が5棟になる

    □2019年(29歳)
    株式会社クラウドリアルティ入社(不動産特化型クラウドファンディング運営会社)

    -購入物件を地方×築古×再生に完全シフト

    □2020年(30歳)
    Rsmile株式会社創業(2021年サービスCOSOJI開始)

    -初めての執筆(不動産投資の羅針盤)

    -購入物件が10棟を超え満室家賃収入のCFが100万になりその資金をもとに創業

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