編集部
自己紹介をお願いします。
幸田さん
不動産投資家の幸田です。現在の家賃収入は年間約1億円で、そのうちの約4割が最終のキャッシュフローです。元はサラリーマンでしたが、副業や都内近郊での不動産投資で資産を増やし、42才の時に勤め人を卒業。フリーランスを経て、不動産の収益を主体とした生活にシフトしました。
2012年に家族でマレーシアに移住(5年程度)し、今は沖縄に主拠点を構え(6年目)、不動産事業を東京で拡げるべく二拠点生活を行っています。また、若い経営者へのベンチャー投資及び育成等も行っています。
編集部
不動産投資を始めたきっかけを教えて下さい。
幸田さん
僕は大卒後に商社に就職し、20歳台後半の1998年に半年ほどの語学研修でアメリカに住んだ経験があります。当時の住まいのシェアハウスのオーナーさんが会計士と弁護士の夫婦で、この二人から「金持ち父さん貧乏父さん」を勧められました。
日本では「金持ち父さん貧乏父さん」は不動産投資家のバイブルに位置づけられ、とても有名な本ですが、当初、僕が英語版で読んでの印象は、ビジネスを持ち、投資を行い、複数の不労所得を得なさいという指南書でした。
現に、そのオーナー夫婦もネットワークビジネスに注力し、定期的にネットワークビジネスのパートナーとパートナー候補との親睦のためにパーティーなどを開催していました。
編集部
それでネットワークビジネスを始めたんですか?
幸田さん
いいえ。実は偶然にも、その後にサラリーマン投資家として有名になられた藤山勇司さんが私の会社の同じ部署にいました。藤山さんから不動産投資の話を聞かせてもらい、「ロバートキヨサキさんみたいな事を言うな」と思いました。
当時、本の出版を進められていた藤山さんが下原稿を読ませてくれたのですが、勤め人でも出来る不動産投資の本はその頃、ほとんど存在していなかったので、その内容に感化されました。
それで、自身も不労所得を目指すべく、不動産投資にチャレンジする決心をして、2002年に中古のワンルームマンションを購入しました。それが最初の投資物件です。
編集部
藤山勇司さんといえば競売で有名ですが、その物件も競売で買われたのですか?
幸田さん
いえ、市場に出ているものを普通に現金で購入しました。亀戸駅の近くの区分マンションで、価格は1,000万円くらいでした。
編集部
その投資は成功されましたか?
幸田さん
10年所有したのですが、その間に投資したお金を全額回収し、1,200万ぐらいで売却できました。10年で220%のリターン(複利年率に置き換えると約8%)ですので、投資として成功だったと思います。
編集部
その後はどのような不動産を買い進めたのですか?
幸田さん
藤山さんに「何を買えばいいかな?」と訊いたら、「競売等にこだわらず、自身のスタイルを見つけろ」と言われました。それで僕は、半地下の割安な区分ワンルームマンションを買って、マンスリーで高く貸すというアイディアを実行してみました。
某神奈川にある地銀が「区分で4戸以上なら融資をつけられる」と言ってくれたので、売り物件を4戸探して、同時にまとめて買いました。当時、民主党政権で不動産が割安だったんです。
1戸あたり600万円くらいで購入し、マンスリー賃貸で月額6万円で貸せました。都内で表面利回り12%程度を確保できましたし、5年後に約2割増しで売却できたので、こちらも良い投資だったと思います。
■都内周辺で土地から新築を建てる手法にシフト
編集部
それ以降も、区分マンションを増やしていったのですか?
幸田さん
いえ、効率性と規模を求めて、2010年から一棟に切り替えました。不動産以外の副業で稼いだ資金をつぎ込み、都心の一等地に古い木造アパートを現金で買いました。この物件は利回りが20%程度あったのですが、数年後に1.5倍程度で売却しました。
その後は、都内周辺で土地を購入し、そこに物件を新築していくという方法に切り替えました。その準備のために、建築全般について広く勉強しました。
最初の新築チャレンジは2012年、千葉県の柏駅から徒歩8分程度の土地を仕入れ、土地込みで一棟5,500万円で仕上げた木造アパートです。自分で土地を見つけてプランまで考えてから工務店に持ち込んだことで、安く仕上がり、利回りは12%になりました。
フルローン融資での購入だったので自己資金利回りも高まり、不動産投資に弾みがついてきました。
編集部
その後も木造メインで建てていったのですか?
幸田さん
いえ、木造からS造に移り、最近はRC造の物件を土地から仕入れて建てています。二年で1棟くらいのペースです。
ちなみに、最初の物件を建てて6年後に、一棟目の隣の土地を購入してS造アパートを建てたんですが、土地価格が3倍になっていて、利回りも8.5%まで下がりました。安倍政権以降の不動産の値上がりはすごいですね。
編集部
なぜ木造からS造、S造からRC造へとシフトしたのでしょう?
幸田さん
売却で利益確定をする方針を取るために、5棟保有したら、1棟売るというプランを持っていました。ところが木造は、売却したくても耐用年数の問題で次の人の融資が付きにくく、買い手が限られます。それで、S造とRC造にシフトしていきました。
新築投資が好きなのは、自身で建築企画することにより、他の競合物件と異なるユニークな物件にチャレンジできることが楽しかったからです。
■46歳の時にサラリーマンを完全卒業
編集部
不動産投資を始めた時は、「会社を辞めたい」という目標があったのですか?
幸田さん
いずれは独立したいと強く思っていました。「金持ち父さん 貧乏父さん」を読んでから自分のビジネスを作ることに興味を持ち、不動産投資はそのための1つの手段という考えでした。
編集部
では、他にもビジネスをしていたんですか?
幸田さん
はい、サラリーマン時代から、不動産投資の他に飲食店の経営、ボイストレーニング教室の経営、自己啓発コンテンツのライセンス販売等のサイドビジネスに挑みました。
とはいえ、サラリーマンなので時間がありません。そこで、仕事を任せられるパートナーと組んで運営を任せて、利益が出てきたら出資の保有率分の配当が入る仕組みを作りました。
事業の投資リスクを取り、経営にはコミットするが、ルーティンな運営は任せるスタイルです。これなら複数の事業を同時に行えます。そうやって色々な事業を展開することで安定化していきました。
キャッシュにも余裕ができたので独立を考えました。ただ、やっぱり家族は心配しますよね。それで、究極の不労所得とも言える不動産投資も同時並行でやっていたという感じです。
編集部
サラリーマンが都内近郊で新築のRC造やS造を買い進めるのは資金的に簡単ではないと思います。それができたのは、他のサイドビジネスからの収入があったからでしょうか?
幸田さん
そうですね。トライした中で、ボイストレーニング教室は良い事業だったと言えます。開業後5年目にはサラリーマン給与以上のキャッシュインがありました。こうしたサイドビジネスからのキャッシュに加えてサラリーマンという与信があったので、億単位の融資を受けられたという面はあったと思います。
編集部
会社を辞めたときの所有不動産の数と家賃年収を教えてください。
幸田さん
2012年に辞めた会社からフリーランス的にダラダラと貰い仕事も貰っていましたが、2016年に勤め人時代からの仕事から完全に卒業しました。その時の保有棟数は4棟で借入は約3億円ありました。
家賃年収は約3,000万円で、キャッシュフローはその約半分くらい。年齢は丁度46歳でした。その他に、不動産以外の副業で同等のキャッシュフローがありました。
編集後記
明日の後編では幸田さんがサラリーマンを辞めたきっかけや、家族で海外に移住された話、現在の趣味であるトライアスロンについてなど、FIRE後もますますパワフルな幸田さんの成功の秘訣に迫ります。