
生まれ育った札幌から常夏マレーシアへと5人家族で移住したのは2014年3月のこと。留学・駐在経験ゼロ、知り合いゼロ、英語力ゼロ、という無謀な挑戦でしたが、住めば住むほど温暖で人も穏やかなマレーシアが好きになりました。
参照:セミリタイヤヘの扉を開けた「 4つのカギ 」とマレーシアへの引っ越し
気がつくと8年半の月日が経過。移住当時2歳だった末娘も小学5年生です。本当に「 あっという間だった! 」という感覚です。
■ アパート経営のおかげでサラリーマン人生から卒業できた
人生の時間は有限です。もっと言うと命とは時間です。当たり前ですが、お金を稼ぐのは人生を豊かにするためであって、お金を稼ぐのが人生の目的ではありません。
サラリーマン時代の私は人としての余裕がゼロで、家族に八つ当たりすることもありました。日常的な体調不良を改善しようともせずに、ひたすら負のルーティンワークを繰り返していました。
そんなある日、仕事中に過労で倒れてしまいました。働けなくなり、我慢と忍耐の限界を知らされました。それまで、従順なマジメな会社員として優れたサラリーマンになることが成功なんだ! と本気で思っていました。
しかし、実際はストレスで一杯でした。病気を機に、「 自分の本心にフタをして、己をだまし演じつづけていた 」という残念な自分だったことに気づかされました。そんな自分を変えてくれたのが不動産投資でした。
平凡なサラリーマンだった私ですが、人生を変えるにはこれしかない!と決意して、その1年後に最初のアパートを購入しました。( 関連書籍150冊以上を読みました、問い合わせや内見した物件数は数えきれません )
実際に大家の道を歩みだすと、思考や時間の使い方が激変しました。それまで給料を受け取ってその中で生活を組み立てる生き方を20年続けてきましたが、その人生の枠が吹き飛んだのです。そこから人生が大きく開けていきました。
参照:大家6年目で感じる「 初心者の頃は気づかなかった大事なこと 」
ロバートキヨサキ氏の提唱するクワドラントで言う、E( Employee )従業員のカテゴリーから初めて脱出できた瞬間でした。すると、会社員だった自分には見えなかった世の中のお金と時間の動きが俯瞰して見れるようになりました。
これには驚きました。そして、世の中のお金と時間の動きを俯瞰して見られるようになった私が選んだのが、家族5人での海外移住だったのです。
ちなみに海外にいる間、不動産のことは管理会社さんへお任せしていました。メールやSNSでやりとりしつつ、年に数回の帰国時に打ち合わせを行いました。満室稼働がしやすそうな物件ばかり買っていたため、特に困ることはありませんでした。
不動産投資家としては海外に住むデメリットもありました。物理的に距離が遠くなるほど、情報交換の頻度やレスポンスは遅くなります。気になる物件があってもすぐに見に行くことができません。
帰国のタイミングで築古物件の売却は行いましたが、新規の物件購入はゼロでした。

マレーシアの自宅からの風景
■ 8年半の物件数の変化
マレーシア移住した当時の所有物件は、木造アパート6棟、戸建て3戸、RC3棟で合計96室でしたが、アパートと戸建てを売却した現在は計76室です。毎月の税引き前CFは100万円ほどに縮小しましたが、完済した借入もあります。
不動産投資を始めてからの2年間は、「 目指せメガ大家! 」的なモードでした。しかし、マレーシアで暮らし始めてから物欲や規模拡大の意欲がどんどん失せていきました。
ところが日本に戻ると、改めて資産構築をしていきたい気持ちになっています。先日、札幌で極東船長さん、波乗りニーノさん、やっさん( 大野靖弘さん )たちと食事をした時に、自分の本心と対峙するキッカケがありました。
一言で言うと、「 なぜ自分はブレーキを踏んでいるのか? 」と感じたのです。今の自分はエネルギーがあり余っているのでしょう。「 学び直して、また資産を構築していこう 」というスイッチを入れてもらった感じです。
これまでの私の不動産投資は、「 家族の生活費の確保 」の為に行うものでした。しかし今は、「 ブレーキを踏まずにもっとイメージを広げていこう 」と感じます。これからはまた、初心者に戻った気持ちで行動していきます。
50才になりましたので、初心者時代のような、ネット検索し続けてマウスを握ったまま寝落ちするような無茶はしません。これまでの経験を生かして、絶好球が飛んできたらカコーン!と打ち返していく、そんなイメージでいます。
これまで休んでいた分、学び直すこともたくさんありそうです。学びは無駄になることはありません。己の視野と選択肢を広げるために、何時も学び、知識を積み上げていく姿勢こそが真の資産になります。
これまでの経験からも不動産を通じて学んだことや仲間との繋がりは継続することは素晴らしいことだと実感しています。今の生き方に変化を起こしたい! 未来に役立つスキルを得たい! という気持ちを忘れず学び続けていくつもりです。
参照:セミリタイヤを決意してから「 一棟目 」購入に向けて実践したこと
■ 新たな経験を重ねるには、暮らしの環境を変えるのが良い
家族でマレーシアに渡ってから8年半、次のステージとして今度は日本の田舎での新生活を始めます。
私は「 新たな経験を重ねていきたい。そのために暮らしの環境を変えるのが良い! 」という思いを持っています。札幌を離れる時もそう信じていました。実際に経験してきた今は、信念へとなりました。
日本に戻る理由は色々あります。娘たちの成長と進学、親の高年齢化、煩わしくなる海外渡航の手続き、不動産等の資産再構築等。その中でも一番大きな理由は、価値観の見直しと新たな経験をすることでした。
そもそも妻も私も道産子ですので、北海道での暮らしには特別な驚きや発見はありません。しかし、娘たちは違います。長女は6才まで札幌に住んでいましたが、当時の記憶は断片的だといいます。
常夏東南アジアから日本の北海道で新たな暮らしをするということは、気候はもちろん、常識や時間の使い方など、ありとあらゆる環境が激変します。その劇薬的な振り幅に価値を感じています。

さらに、せっかく暮らすのならこれまで未体験だった、野菜や動物を育てたりする「 田舎暮らし 」にも憧れがありました。今年の冬は娘たちはウインタースポーツをしまくっています。かまくらも作ってみたいそうです。
雪が降る、という事象を説明してもイマイチ理解出来ていなかった娘たちですが、初雪の日、一瞬で「 雪が降る 」ということを理解しました。娘たちの成長をみていると「 何事も経験することが大切なんだなぁ 」と、改めて感じます。
■ 人生の時間を何に使うのか?
今は不動産投資にチャレンジした昔の自分を褒めてあげたい気分です。おかげで、8年半の海外生活を経験できました。20年間、違和感を持ち続けていたサラリーマン人生をチェンジできました。
3人の娘たちと過ごす時間は、会社員時代と比較にならないほど増えました。大事な時期に多様性に溢れる環境で伸び伸びと育てることができたと思います。不動産投資だったからこそ、時間の自由を得ることができました。
「 神様から頂いた時間の自由を何に使うのか? 」。今も日々自問自答しているテーマではありますが、全く環境の異なるマレーシアへの移住は、想像を遥かに超える学びがありました。
人間には、「 好きな街で暮らす自由 」があります。無意味な我慢や忍耐は手放してもいいのです。大局で見れば、「 自分の気持ちに正直に生きる 」ことが、皆がハッピーに生きる秘訣なのだと思っています。
それを実現する方法が、私にとっては不動産投資でした。2023年もアパートたちに感謝しながら、よりハッピーな人生の使い方を模索していこうと思います。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

新しい町で家族と迎える年越しが楽しみです(雪が降る前の芽室町にて)