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築五十年でも大丈夫、ロサンゼルスで三十年前に、住んでいた物件が120万ドルに。アメリカ好景気、フリーウエイ。大リーグ、大谷翔平。

加藤ひろゆきさん_画像 加藤ひろゆきさん 第367話 著者のプロフィールを見る

2024/4/8 掲載

アメリカから、無事、帰国した。
刺激的な旅行だった。

1992年から1997年にかけて、住んでいた物件のうち、三軒を訪問。
過去の自分との対話だ。

当時でそれぞれ築二十年から三十年。
今は築五十年以上だ。
塗装はされていたが、皆、何もなかったような顔をして、マジメくさって建っていた。

アパートメントは満室。
一軒家は四年前に、百二十万ドル(約一億八千万円)で、売却されていた。手入れをすれば、持つのだ。
ニンゲンの耐用年数のほうが短い。

・サンドパイパー2

レドンドビーチにあるアパートメント。
丘の上から海が見える。
海風が吹くので、真夏でも暑くない。

ユニット数40戸位。
真ん中にプールがあり、地下にサウナとジムがある。
洗濯室には、洗濯機十台、乾燥機十台があった。
日本でいふ、1LDKの間取り。

さすがに中には入らなかったが、「空室ナシ」とカンバンに出ていた。
当時の家賃は745ドル。
今は二倍以上になっていると思ふ。

深夜にユミコさんと手をつないで行った、斜め向かいのセブンイレブンもあり、当時のことを思ひ出した。

・トーランスのアパートメント

1996年から帰国の1997年10月まで住んでいたアパート。
1LDKで家賃600ドル。
財務がタイトで、支払いも大変だった。
あのころのワタクシに、仕送りをしたい。

トーランスのアパートメント

敷地300坪、太いストリート側には四店舗あり、裏側には三気筒のアパートメント。
その二階角部屋に住んでいた。

今回、ロサンゼルスで、ビル広田氏と合流し、夜中にこのアパートメントの前で、三時間位語り合った。

窓際にはヤシの木があり、かつて枝が伸びて、風が吹くと窓に当たるので、オーディション用に持っていた日本刀で、枝を切ったことを思ひ出した。
そのヤシの木も二メートル位伸びていた。

ベランダの横には巨大なごみ収集箱があり、帰国前日に、すべての残置物を投げ捨てた。
二十七年経って、そのごみ収集箱には、蓋がされていたのには笑った。

・バンナイズの一軒家

1992年6月から一年間住んでいた。
一軒家のマスターベッドルームを、600ドルで借りていた。
ジェットバス付きだ。

女性家主のフェイ(当時45歳)と、高校生のムスコのフレッドが住んでいた。
敷地250坪位。
L字型の平屋、推定建坪60坪。
角地だ。
中庭にはプールがあり、犬のサミーを泳がせていた。

十分位外から見学し、写真を撮っていたら、現在の家主の、若いインド人が帰ってきた。
勇気を振り絞って、声をかけた。

訊けば、四年前にフェイが亡くなり、一人ムスコのフレッドが相続。
この若いインド人は、フレッドからここを120万ドルで購入したといふ。
一億八千万円だ。

当時の価格は推定20万ドル。
1ドル100円の時代だったので、二千万円だ。
ドル建て換算で、三十年で六倍。
円建てで九倍だ。

やはり、不動産はいい。
フレッドの電話番号も教えてもらった。
共通の知り合いがいて、胸が熱くなった。

バンナイズの一軒家

☆激安アパート経営の原点

今回のロサンゼルス再訪問で、改めて思ったのが、築五十年でも大丈夫だといふことだ。
丁寧にメンテナンスを実施すれば、百年くらいは持つのではないか?
おまけに、家賃も上がり、満室経営だ。

一戸建てのフロントに、ヘッドから四台並列で停められる駐車場も、アメリカ時代に学んだ。

☆アメリカのフリーウエイ

久々にフリーウエイを走った。
快適だった。
マシンはキャディラック・エスカレード。
巨大なSUVだ。

本当は、リンカーン・タウンカ―に乗りたかったが、すでに製造中止のようだ。
1,500マイルくらい運転した。

アメリカでレンタカーの選び方。

・空港で借りる
入国から帰国直前まで、クルマを活用できる。

・渡米前に予約
予約しておけば、到着後、すぐに乗れる。
LAXでは、各社巡回バスがでている。

・容積率が高いクルマ
容積率が低いと、人口密度が増え、ドコモがケンカする。

・サンルーフ必須
走行中に、日光浴が実施できる。

・保険はフルカバー
チリ人に特攻されても、大丈夫。

前回も少し書いたが、駐車場に停めて、車外でタバコを吸っていたら、チリ人女性が運転する車にバックでぶつけられた。

メッキのグリルが割れた。
レンタカー会社に報告。
「ポリスレポートが必要だ」と言うので911に電話。

そんな軽微な事故には行けないと断られたが、二度目に白バイに乗った、陽気な黒人ポリスマンがやってきた。
割れたバンパーを見て、

「これくらいでは、ポリスレポート書けないぜ、メーン。
お互い、電話番号と免許証番号と、自動車保険番号を交換したか?
それをレンタカー会社に提出、以上だ」

といって、固い握手をして、アクセル全開で次の現場に向かった。
なまらテキトーなポリスマンだった。
険悪だったチリ人女性とも、このさわやかな去り際で、一気に打ち解けられた。

次に会った時は元気に挨拶を交わした。
これが、アメリカだ。

・V8、6.3リッター

エンジンの馬力があり、加速がいい。
ただ、着座位置が高く、重い。
ラスベガスまで、砂漠の中、往復600マイル走った時は、腰が痛くなった。

北海道で乗っているLSにはかなわない。
普通のセダンがよかったが、ドコモたちは喜んでいた。

・フリーウエイ

三十年前のLAの最高速度は、55マイル。
今は65マイルになっていた。
実際の速度は70~75マイル。

交通量も五割くらい増えているので、高速走行は命懸けだ。
昔運転していなければ、走れなかったと思う。

当時はナビもなく、トーマスガイドブックといふ、地図帳だけで走っていた。
その体験が活きた。

大型二種免許と大特も、取っておいてよかった。
今回のクルマのように、大型車も運転できた。

・クルマの変化

三十年前は、V8、7リッター級の、巨大なアメ車が大量に走っていた。
現在では、セダンが激減し、SUVが流行。
新しいクルマが増えた。

アメリカ人は、収入が増えると、クルマを買い替える。
つまり、景気がいいのだと思ふ。
また、ガソリン価格も六倍になり、燃費のいいクルマでないと、生活が破綻スル。

当時、ガタガタだった道路も、五割以上、補修されていた。
フリーウエイの車線も増えている。
国力が更に増している。

☆ラスベガス

成長率が、一番高い都市だ。
三十年前から考えると、直径が十倍くらいになっていた。
フリーウエイも二車線から四車線に拡張。
街に入るまで、大渋滞。

新築物件が郊外に建つ。
元々、砂漠の中の都市なので、周辺は更地だった。
拡張しやすい。

☆アメリカかぶれの大和魂

アメリカは、百年以上、世界のトップを走ってきた。
今にして思ふと、ワタクシが暮らしていた五年半は、経済的には最低だった。
しかし、二十七年ぶりに上陸したこの国は、見事復活して、文明を享受している。

日本も、政令指定都市と、その周辺の市町村の不動産価格は、今後も上がると思ふ。
家賃も上がる。
ロサンゼルスとラスベガスを見て、そう思った。

☆食事

日本から、登山者用の、携行食料を六袋持参。
お湯を入れて十五分。
ドライカレーや海老ピラフを購入。
夜中に小腹が空いた時に役立った。

あとはほぼ外食。
ステーキの「ノームス」には、同じ時期に滞在していたビル広田氏と、ほぼ毎晩通い、語り合った。

飲み物は、アイスティーと、ホットコーヒー両方注文。
とても豊かな気持ちになる。

チップは担当に、先払いスル。
そうすると、サービスがよくなる。

深夜に働く若い男女も陽気で、こちらも楽しくなる。
空気が乾燥しているので、大量に水を飲む。

ノームスのメニュー

☆大谷翔平とドジャース

帰国前日、ドジャースタジアムに行った。
朝四時まで予約サイトから申し込んでみたが、ログインできず、玉砕。

当日、クルマで球場に向かう。
野茂が投球していた二十八年ぶりだ。
何故か、新しくなっていた。

アメリカは、人が集まる場所は、どこでもお祭りだ。
十四ドルのポップコーンを、勇気を振り絞ってLONG。
入場料はひとり八十ドル。

ただ、ヌートバー選手のお母さまと、写真をとったので、楽しかった。
大谷翔平が頑張っている姿も見た。

試合は三回に激しい雨が降り、涙の転進。
早めに帰って、帰国の準備。

寒い中最後まで見ると、駐車場の出口から、フリーウエイに乗るまでが混む。
早めに離脱して、ハーバー・フリーウエイ、110を南下シタ。

ドジャースタジアム

☆総評

アメリカの物価が上がっているとは聞いていたが、こんなにバブルだとは思わなかった。
三十年前の自分と、現在の自分の、答え合わせができた旅だった。

CASHFLOW101
#note
4/5/2024

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※ 記事の内容は執筆時点での情報を基にしています。投資等のご判断は各個人の責任でお願いします。

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プロフィール

加藤ひろゆきさん

加藤ひろゆきさん

大家・作家・随筆家

□メールアドレス
cashflow101ss(at)yahoo.co.jp

プロフィールの詳細を見る

経歴
  • ムービー・スターを夢見て、ハリウッドで200本のオーディションを受ける。米国スクリーン・アクターズ・ギルド(俳優協会)のメンバー。

    マドンナやジャネット・ジャクソンのミュージック・ビデオ。ホンダやコカ・コーラのCMなどに出演していた。

    渡米後六年間、頑張ってみたが、LA時代の後半は、芸能の仕事も激減、財務がタイトになり、ホームレスになる直前だった。

    乗っていたキャディラックを売却して、航空券を購入。残った200ドルを握り締めて玉砕寸前で帰国。

    その後、つとめ人として再生を試みるが、アメリカナイズされた大和魂の受け皿はなく、挫折。うだつの上がらない人生から脱却するためには、不動産が必要だと感じた。

    安い中古車に乗って資金を貯め、大家業を目指し、激安アパート経営で再生。

    生きながら解放されることを目指している。晴れた日には土地の開拓、あるいは、マシンの走行実験を実施。雨の日には随筆を綴っている。
  • 所有物件は、戸建8棟、アパート2棟、商業ビル1棟、貸店舗3棟、貸駐車場2区画、更地5区画(常時変化している)。

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